ちくま学芸文庫

熱い国語教科書
『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』

 筑摩書房の昔の国語教科書を文庫にしました。四〇代後半から六〇代前半の方が高校生の頃に使っていた教科書からのセレクションです。あわせて現場の先生方が授業の組み立て方の参考にした当時の「指導書」も収録しています。谷川俊太郎さんら著者による自作の解説なども載っていて、純粋に、本として楽しめる内容になっているかな、と思います。
 懐かしい。収録されている教材は、今も定番として採用されているものですが、全体の香りが違いますね。筑摩書房の昔の教科書は、評論にしても文学よりのものが多いんですよ。
 今の教科書はどうなんでしょう。
 最近は評論教材を充実させる教科書が多いですね。学校の先生方からの要望でもあるんですが、白黒はっきりつくもの、論理構成がわかりやすいもの、が採用される傾向にあります。
 このごろの高校生は、評論は読めるけれど、小説は読めないって言うんですよね。書かれていないイメージの部分のことはわからないと。昔は逆だったと思いますが。
 今回収録した指導書を読むと、それぞれの執筆者の方が、その「書かれていない」部分を徹底的に読みこもうとしていますね。やはり指導書自体も今のものと違いますか?
 指導書というのは、先生方の授業の準備をサポートするものなのですけれど、昔の筑摩書房の指導書は、そういうことよりも教材の研究に重きをおいていたんですよ。当時を代表する研究者が思いっきり力を込めて執筆しています。
 学校の先生に、作品とがっぷり四つに組むことを要求する指導書ですよね。便利ではないのに、当時は熱烈な支持も受けました。それだけ教育の現場が熱かったんでしょう。
 作る側も熱いですから。編集会議は伝説ですね。会議はまず、各編集委員がこれぞと思う作品を持ち寄って、音読するところから始まる。それを他の先生方はじっと聞いているんですが、中には感極まって泣きながら音読した先生もいらっしゃったそうです。なんかもう永遠に終わらない感じですよね(笑)。
 それから、指導書は新学期にあわせて三月までに学校にお届けしなければならないんですけれど、編集委員が自ら思いを込めて執筆するので、三月に間に合わないことが多々あり……。それもベテランの先生には「懐かしい」と言われます。今はそんなことは決してありませんけれど(笑)。
 指導書だけでなく教科書自体もかなりとんがっています。例えば柳田国男の「清光館哀史」、今ではちょっとありえない教材なんです。もともと別々の二つの文章を組み合わせて一つにしたものですから。編集の意図がわからないと教室で教えるのは難しい。作品中の教えにくい部分は収録しないという方針がとられがちな昨今、この教材は丸ごと教えにくい(笑)。
 この教材を「創作」した益田勝実さんの指導書を読まないと、この教材が収録された意図はわからないですね。
 そうなんです。だからその意味では、昔の筑摩書房の指導書というのは、その教材が採用された「いわれ」がわかるものでもあるんです。
 現在定番となっている教材には、けっこう、筑摩が最初に採用したというものがあって、その時の指導書を読んでみると、その教材を教科書に載せた意図がわかるんです。定番化してしまうと、採用された理由というのがだんだんわからなくなってしまうので、当時の指導書は貴重ですね。
 代表的なところですと、先ほどの「清光館哀史」、太宰治「富岳百景」、清岡卓行「失われた両腕」、坂口安吾「ラムネ氏のこと」、宮澤賢治「永訣の朝」などが、筑摩発の教材ですね。
 熱い会議を経て採用された教材が、今でも定番として残っている。やはりすごい編集会議だったんだと思います。国語教育への熱い思いがひしひしと伝わってきますね。冒頭に収録されている臼井吉見さんの「言わでものこと――敬愛する現場の指導者へ」なんて、ものすごく緊張感のある文章ですよ。
 ハッとさせられる文章が多いですね。この教科書に親しまれた方はもちろん、文学の好きな方、逆に文学が苦手な方にも読んでいただきたいと思います。
 

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