ちくま新書

ロジックの快感を経験する

ちくま新書『東大入試に学ぶロジカルライティング』

 ロジカルライティングという言葉は何だか据わりが悪い。バーバラ・ミントという人の本がバイブルのように言われるのだが、「ピラミッド」とか「MECE」とか言われても、ニューモデルの売り文句みたいでしっくり来ないのだ。
「これさえ守れば、論理的になれる!」「論理的になれば金が儲かる!」さすがに、そんなことまでは言っていないと思うが、そんな匂いをそこはかとなく感じて敬遠したくなってしまう。あんまり自信満々たる態度をしてほしくないんだけどな。私のひが目なのだろうか?
 どっちかというとぴったり来るのは、哲学者大森荘蔵の言い方だ。「論理とは冗長なことである」(『流れとよどみ』)。論理なんて長ったらしいだけで、ちっとも面白くない。ただ、「ない」「ある」「かつ」「または」「すべての」「ある」などいくつかの決まり文句を使って、元の言葉を別な表現で言い直しただけ。あまり過剰な期待をしないでほしい、と。
 日々、論理と文章の海の中をもがき泳いでいる私にとっては、こっちの方が実感に近い。何でもそうだが、仕事は実際にやってみると格好いいことばかりではない。黙々と手順に従って、細かな違いを確認し続け、訂正してよりよいものにする。「先生、こんなことやって本当に点数が上がるんですか?」「黙ってやりなさい! そのうち分かる」……ま、そういうしかないようなジミーな作業なのである。
 それでも報われる感じがするのは、この作業が、ときどきとんでもない領域に連れて行ってくれるからだ。常識や信念だけではけっしてたどり着けないような奇妙奇天烈なアイディアたち。アニメのセルを一つ一つつなげると、ダイナミックな動きが生まれるように。そのめくるめく飛躍の感覚を経験した者にとっては、「論理を使えば、うまくビジネスできる」なんて利益と効用を強調されたって、大して魅力的には思えないのである。
 何かを学ぶには、その楽しさを覚えるのが一番良い。『東大入試に学ぶロジカルライティング』も「ロジカルライティング」とは名付けたけど、あんまり「効用」ばかり強調しないようにした。むしろ、「難解!」で鳴らす(ホントはそんなことないのだけどね)東大入試問題をさらさらっと解いて、「ああ、本当は自分って頭が良かったんだ」という快感をひととき味わって欲しい。
 ただ、そう感じるには、ほんのちょっとだけ論理の使い方に慣れなければならない。基本原則の確認と、よく使われる方法。それを徹底的に適用すれば、けっこう「あっ」と驚く結論にたどりつくことは多いものなのである。据わりの悪い言葉でも、使い方次第で、新しい快感を発見できるというか。
 しかも、この作業は一人で苦しむものではない。むしろ苦しむのなら、皆で苦しむべきだ。「これはおかしい」「ここはこうした方がよい」ワイワイ言いながら皆で突っつくことで、よりよい着地点を見つける。さまざまなツッコミを入れてくる他人をうっちゃり、なぎ倒しと、対話のバトルをしつつ、議論する過程がそのまま文章になれば良いのだ。ソクラテスやプラトンがやろうとしたことは、そういう躍動感溢れるおしゃべりではなかったか?
 この本で一番再現したかったのは、その対話の雰囲気である。体裁は一見、私が叙述しているだけのようだが、実はその裏には他の人との膨大なやりとりの蓄積がある。そのやりとりの作法が論理の基本であり、その定石が論理技法なのである。
 実際、この本の内容は、すべて、私たちの小さな学校ボカボの受講生との対話から生まれた。充実した対話の機会を与えてくれた彼らにはいくら感謝しても足りない。論理とは、それを身につけて人を出し抜くためのこざかしい道具ではない。むしろ、他人とつながったり対抗したりするダイナミズムを、心から楽しむためのメディアなのである。

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