ちくま文庫

ふらっと行って、さらっと飲んで――“ひがし〟の魅力

『東京ひがし案内』

「町に出ればなんとかなる」というのが子供のときからの信条である。家は十五坪の長屋で、父と衝突するとすぐに家を飛び出した。いやなことも、かなしいことも、部屋の中で悩んでいないで、自分の足で歩き始めればだんだん体が軽くなる。
 もちろん畑の雑草を引っこ抜くとか、ちくちく布巾を縫うとか、いろんなストレス解消法があるにはあるのだが、東京のまん中、白山に住まいせる私にとって手っ取り早く、安上がりなのはいまでも靴を履いて町に出ることなのである。もとい、うっとうしいのが嫌いなので春から秋まではたいてい、下駄かサンダルだ。
 大して遠くにはいかない。歩ける範囲、自転車で行ける範囲、せいぜいバスに乗るくらい。それなのに行くところはいくらでもある。名所旧跡にはほとんど関心がない。隣町を歩くだけで、また新しい店ができた、あ、ここは猫道なんだ、面白い貼り紙があるぞ、と何となく楽しい。
 所用があるとき、誰かと待ち合わせるときでも一時間くらい余裕を見て家を出、駅周辺をぐるぐる回る。時には足りなくなった防虫剤やゆずこしょうやコーヒー豆を買ったりする。
 この本はそんな気ままな東京散歩について書いてみた。江戸には大川こと隅田川が町の中心を流れていた。幕末の噺家三遊亭円朝の作品でも『名人長二』は谷中や本所、『文七元結』は吾妻橋での身投げのはなし、『業平文治』はもちろん本所業平橋、『牡丹灯籠』は谷中や根津と東の方が舞台。本所割下水と言えば葛飾北斎や勝海舟のいたところ、お玉ヶ池に千葉道場や漢学塾もあったし、根岸には酒井抱一や亀田鵬斎など文人墨客がいた。
 東の栄光が影薄くなったのは、江戸無血開城交渉の際、「旧幕臣を川の向こう、向島に出すこと」との西郷の案を海舟がのんだこともあろう。こうして向島は成島柳北ら、旧幕臣の住むところとなった。旧暦五月十五日には上野戦争が行われ、彰義隊の幹部で生き残った本多晋は上野東照宮の宮司となり、和平工作に身を挺した山岡鉄舟は戦場であった谷中三崎坂に全生庵なる寺を建てて戊辰両軍の戦死者を弔った。
 土地には地霊が宿っている。明治以降は行政区の線を引かれ、旧十五区というのがほぼ東京の旧市街といっていい。その中でもごくなじみなのが自分の生まれた本郷区、これと小石川区があわさって今の文京区となった。母の生まれ育った旧浅草区にも愛着があり『旧浅草區――まちの記憶」(平凡社刊)を書いた。これと上野辺りの下谷区が合わさって台東区となった。
 東京は戦後、どんどん西に膨張を続け、東京オリンピックのさい、代々木あたりに競技場が作られ、都庁は新宿に移転し、中央線沿線が若者の人気の町となり、多摩ニュータウンが広がってきた。私は半世紀以上、住所は文京区千駄木から動いていないので、あえて偏屈に「ひがし好き」を名乗っている。
 たとえば表参道辺りにフレンチやイタリアンの店ができると、評判になるが、向島や本所に新しい赤提灯の店ができても、ひっそりとしたものである。でもそんな店の方に私は行ってみたい。三ノ輪育ちの写真家荒木経惟さんが「おれ、ご予約ですか、といわれたとたん帰りたくなる」というのに賛成。仰々しい外国語で書いたメニューを見せたり、ワインのうんちくを垂れたりする店はイヤなのである。ふらっと行って、さらっと飲んで、長居をせずに立ち去るのがいい。そんなまち歩きのなかから、好きな町をまとめたのがこの本である。イラストは同じ町に住む長年の友人内澤旬子さん、地図は娘の川原理子が協力してくれた。
 ひとつの道を森鴎外が、大村益次郎が、水戸黄門が、さかのぼれば日本武尊が歩いたとされている。そんな歴史の層が見え隠れしてワクワクする。知識は道にひろえ、と幸田露伴は言った。その道がいまや車に占領され、人の出会う場所ではなくなりつつある。そのことへの小さな抗議も込めたつもりだ。
 そうしてだれにとっても、未来は歩いてきた道の終わりからはじまる。春から初夏へ、散歩のお供にポケットに入れていただけたらうれしい。

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