単行本

あたらしい小説家の、あたらしい説得力。

今村夏子著『こちらあみ子』

 この書評は、ネタバレを避けるため極度に読みにくくなっています。ご注意ください。
 小説集『こちらあみ子』の表題作は、太宰治賞を受賞した「あたらしい娘」を改題したものだ。「こちらあみ子」は、ヒロインの田中あみ子がいかにして前歯を三本失ったか、を物語る。
 特定の男性にたいする女性側の「一途で持続的な勘違い」を軸にして、不在の幼児との交信を配し(出産の二文字にデリダふうバッテンをつけて表現したい)、終盤近くにどんでん返しがあり、最後にヒロインが歯を失う。川上未映子『わたくし率、イン歯ー、または世界』を思い出しそうになるが、あみ子の前歯は〈中学のとき男の子にパンチされてどっか行った〉ので、これはずいぶんと様子が異なる。それ以上に異なるのは、今村夏子さんが三人称の語りを戦略的に使う作家らしいという点だ。
 家族解体の物語「こちらあみ子」は、ギリシア悲劇を思わせる簡素な構造をしている。家で書道教室をやっている母を、小学生のあみ子は善意ゆえに、いわば壊してしまう。しかもあみ子はその行為に、自分の好きな男子であるのり君を加担させてしまう。
 作中では〈その日から母のやる気はなくなった。/兄が突然不良になったのも、ちょうどそのころのことだ〉と淡々と書いているが、母が壊れ家庭が壊れあみ子も壊れ、のり君も重荷を負ってしまうという、取り返しのつかない気の毒な事態である。
 けれど逆から見ると、ああいう壊れかたをする母も、もともと怖い人だったに違いない。この件について小説の本文は黙して語らないが、説得力をもってそう伝わってしまう。
 のり君同様に気の毒な世界に巻きこまれてしまった父や兄が出てくると、むしろほっとする。兄が幼いころそれなりに健気な子だったことはちゃんと書いてあるから、不良化したのはなおさら不憫だ。最後のほうに出てくる、中三時代のクラスメイトの男子生徒なんて、ヒロインに名前すら覚えてもらっていないのだが、さくらももこ作品に出てくる脇役男子を思わせるほどにイイ味出しまくっていて、うっかり泣けた。
「こちらあみ子」も凄いが、併録されたもう一篇「ピクニック」はもっと凄い。作者のしたたかな三人称使いを堪能できる。
「ピクニック」は、飲食店でビキニを着てローラーシューズを履いて接客する〈ルミたち〉の物語だ。ではルミが視点人物かというと、ちょっと違う。〈ルミ〉が単体で登場することはない。〈ルミたち〉はバルガス=リョサの『小犬たち』やアゴタ・クリストフの『悪童日記』の語り手のようにつねに複数だ。全部で何人なのか知らないが、〈ルミたちは、十回以上肩を叩かれてやっと気づいた〉だなんて、いくら店の支配人でもそう何人もの肩を同時には叩けない。しかも〈ルミたち〉は、まるでギリシア悲劇のコロスのように〈「あたしたちみんな考えることはおんなじだ」と言って笑った〉りしている。作者は明らかに企んでいる。
 年上の鈍臭い店員〈七瀬さん〉は人気お笑い芸人〈春げんき〉の恋人だという。あたかも彼女の恋を応援するかのように〈ルミたち〉は彼女の周囲に集まる。〈七瀬さん〉を冷笑する一六歳の〈新人〉は、〈ルミたち〉によって排斥される。
 でも〈ルミたち〉の意志はそこにはない。〈「なんで笑ってんの?」/「先輩たちが笑ってるからです」〉。空気を読めてなかったのは〈七瀬さん〉でもなければ〈ルミたち〉でもなく〈新人〉だった。〈新人〉は最後に〈ルミたち〉にとりこまれ、単体性を失って〈仲間のひとり〉と呼ばれるに至る。そのときにはタイトルの「ピクニック」が始まってしまっているという寸法。視点操作も題の選択も意地が悪い。そしてこの説得力はあたらしい。
 余白の多いギャグ漫画の描線を思わせる、目の詰まり過ぎない文章は、両作ともによく整頓されていて、重苦しさや張りつめた感じがない。リラックスさせるタイプのそんな文で、しかし記述される内容はどんどん気の毒な世界に突入していくのだった。
「ピクニック」のような語りかたは初めて見た。作者の人は早く次回作を書いてください。頼みます。

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