ちくま新書

正しい本は、いい本か?

ちくま新書『つっこみ力』

 去年のことですが、某社から書評の仕事を依頼されました。けっこうなギャラがもらえる、わりのいい仕事だったので引き受けたかったのですが、結局ことわってしまいました。
 ええ、ええ、もちろん、私のような三文物書きが仕事を選べるようなエラそうな立場にないことは、重々、承知しております。でもですね、書評の対象として指定された本というのが、すでに本屋で手にとって、パラパラパラとめくってみて、つまらないな、と棚に戻した本だったもので。
 書評はほめなければならん、という決まりはないんだから、それがいかにダメな本であるかを書けばいいじゃないか、とおっしゃるかもしれませんけど、せっかくお金もらって本を紹介するからには、否定的なことは書きたくありません。べつに提灯持ちをやろうってんじゃなくて、いいところをきちんと見つけてほめてあげたいじゃないですか。
 こないだはパラパラとめくっただけだったし、もう少し注意深く読めば、いいところが見つかるかもしれない。前向きな思いに駆られた私は、いま一度書店に足を運び、件【くだん】の本を手にとって、立ち読みしてみたのです。
 やっぱり、おもしろくない。
 正しいことが書いてある本なんです。文章も平易だし、内容に関して、これといった疑問や反論も湧いてきません。しかし、それだけで終わっちゃってるんです。キラリと光る著者の個性とか、読者に「どうだ、おもしろいだろ!」とぶちかましてくる気迫とか、そういうプラスの何かが、読んでて一向に感じられないんですよね。
 おもしろい本って、感心すると同時に、同じ物書きとしてジェラシーをおぼえます。こんないいネタ発掘しやがって、こんなおもしろい切り口みつけやがって、やりやがったなチキショウめ、みたいな。どうも人文書や学術書には、そういう熱っぽさに欠けるものが多いんです。正しい本だけれど、おもしろい読み物ではないものばかりが幅をきかせてます。
 こんなことをいいますと、人文書や学術書はエンターテインメントとは違うのだ、文章と内容が論理的で正しいかどうかが大事であって、おもしろさなんてものは二の次である、と反論の声があがることでしょう。
 学者や専門家のみなさんは、「正しさ」を追求するために、「おもしろさ」という要素をいとも簡単に犠牲にしてしまいますが、そこにこそ落とし穴があることに、みなさんお気づきでない。
 正しい論理思考を啓蒙して、正しい議論を重ねれば、民衆は誤った常識を捨てて正しい方向へ導かれる、なんてのは、幻想にすぎません。正しさを押しつければ押しつけるほど、論理の手が届かないスピリチュアルの世界とかに行ってしまう人が増えるだけの話です。
 だからこそ、「おもしろさ」が重要なんです。自分が正しいと思うことを世間に広めたいのなら、正しさを多少犠牲にしてでも、自分の主張を「おもしろい」と思わせなきゃなりません。
 正しいだけじゃダメなんです。肝心なのは、正しい意見をおもしろい本にして読んでもらうこと。正しい結論に導くために、おもしろい議論をして耳を傾けてもらうこと。それってつまり、エンターテインメントなんですよ。有史以来、秀才諸氏が世の中を良くすることに失敗し続けているのは、彼らがエンターテインメント精神をおろそかにしてるからです。
 どんな内容の本であれ、値札を付けた商品として出版されるからには、読者には、おもしろさを要求する権利があるし、著者はそれをおもしろい読み物にする義務がある、と私は思ってます。そもそも、つまらない本に、なにか存在価値があるんですか?

(Paolo Mazzarino 戯作者)

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