ちくま学芸文庫

『ベンヤミン・コレクション』、再び

 このたび、ちくま学芸文庫から、『ベンヤミン・コレクション4 批評の瞬間』を上梓した。
『ベンヤミン・コレクション』はちょうど十年前に全三巻(『1 近代の意味』、『2 エッセイの思想』、『3 記憶への旅』〔一九九五−九七年〕)をもって一旦完結し、その後さらに、同じく右学芸文庫から単発で、『ドイツ悲劇の根源(上・下)』(一九九九年)および『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』(二〇〇一年)を、それぞれ関連諸論考をも併録するかたちで刊行することができた。すべてを合わせると三千ページを超え、これで、ベンヤミンの思想の骨格部分と全体像は一応掴めるようになっているはずである。
 このたびの、いわば第二期『ベンヤミン・コレクション』には、いくつかの例外を除いて比較的短い批評作品——そのうちの少なからぬ作品が「書評」という範疇に属している——や断片稿が収録される。これによって各作品間での照らし合いが、先の三つの巻だけの場合に比べて、格段に増幅されよう。主要著作が小論考の密かな意味を照らし出し、その意味を思想全体のなかへ定位してゆくのは当然だが、しかしそればかりでなく、逆に、小論考のほんの一節が主要著作の思わぬ部分と響き合い、そこに新たな光を当てる、ということが大いにありうるのだ。
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 優れた批評作品はすべて、ある神秘的な瞬間を、みずからの言語運動の原点として秘めている——すなわち、〈批評対象の本質が、批判的感性により、批評の萌芽として直観される瞬間〉を。それが、本第四巻に言う「批評の瞬間」である。ベンヤミンにとっての〈批評〉を最も簡潔に定義するならば、〈対象と言語的に関わる哲学的な方法〉ということになるが、批評の瞬間における直観の内容をこの方法に則って構成的に叙述したものが、彼の〈批評作品〉である。そして、それらの作品間に潜在する照らし合いを私たちの読みが発見するとき、それはつまり、私たち内部への〈批評の瞬間〉の宿りにほかならない。
「批評の瞬間」は、したがって、『ベンヤミン・コレクション』のどの巻の表題にもなりうるのだが——実際また、第一巻の「解説」冒頭から、私はもう「批評の瞬間」に言及している——、それをあえてこの第四巻の表題としたのは、次に述べる編集指針第二項に拠るところが大きい。(「書評」という形式においては、批評の瞬間が、表現の比較的表層部に知覚されうるのではあるまいか。)
 本第四巻の編集にあたっては、主に次の二点を指針とした。
一.先の三巻を編集した際に収録を断念した批評作品のうち、最も心残りとなった「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」と「ブレヒトの詩への註釈」を軸として編む。
二.これら二つの軸の周りに、〈批評の一形式としての書評〉という命題をよく体現している批評作品を配置する。
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 若きFr・シュレーゲルとノヴァーリスについて、ベンヤミンはこう述べている ——「ある座標体系を……適切に選び出しさえすれば、彼らの思考は、実際に、この座標体系のなかに書き込むことができる」と。同じように、ベンヤミンの思考に真に適った座標体系の選び出しと、そこへの思考細部の書き込みが、繰り返し試みられねばならない。そしてこの試みが、いつも、私たち自身の思考コードの破壊と再構築を促す契機であらんことを。
 今回も——さしあたり——三巻を予定している。本第四巻のあと、『5 思考のスペクトル』、『6 断片の力』と続く。それぞれが、いまはまだ遠い『ベンヤミン全集』への一里塚である。

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