単行本

書いておかねばならないことが多すぎて!

澤田隆治『私説大阪テレビコメディ史 花登筐と芦屋雁之助』

新刊『私説大阪テレビコメディ史  花登筐と芦屋雁之助』の著者が本書に込めた思いを明かす。

 この『ちくま』誌に平成十九年九月号から連載をスタートし、平成二十一年九月号まで二年間・二十五回書き綴った「平成コメディアン史」が、八年かかって『私説大阪テレビコメディ史 花登筐と芦屋雁之助』として、八月五日に筑摩書房から上梓された。
 これまでにも担当編集者の長嶋美穂子さんは、ちくま文庫に『決定版 私説コメディアン史』と『決定版 上方芸能列伝』を入れることを企画してくださって、それは〝平成〟の目線で手を入れて実現した。その作業のなかで「平成コメディアン史」を『ちくま』で連載しませんかと有難い提案があった。
 すぐに『決定版 上方芸能列伝』で書けなかった、藤田まこと、芦屋雁之助、芦屋小雁、山城新伍、桂三枝、京唄子、鳳啓助、京山幸枝若、香川登枝緒の名前を並べたら、「東京のコメディアンのことも書けませんか」と言われた。
 考えてみれば昭和三十七年にスタートし六年もつづいた『てなもんや三度笠』では、第一回目から数多くの東京のコメディアンが、全く無名の藤田まことを相手に新しい笑いを生み出してくれた。私が東京に仕事の場を移してからは、テレビだけではなく、喜劇の舞台公演でも『雲の上団五郎一座』を始め数々の公演で思い切り世話になったのだ。
 三波伸介、関敬六、由利徹、南利明、清川虹子、長門勇、財津一郎、東八郎、伊東四朗、古今亭志ん朝、立川談志、橋達也、堺すすむ、前川宏司、書きたかった人、書いておかないといけない人の名前が次々とあがった。このメンバーなら紙資料も写真資料も手許にある。誰からスタートするかという相談になり、私が制作したテレビドラマシリーズ『裸の大将放浪記』が大人気ということもあり、五十音順でも芦屋雁之助さんがいいと決定した。

 昭和三十四年、花登筐さんが主宰、芦屋雁之助が参加し、大村崑さんがスターの座に駆け上がった劇団『笑いの王国』が結成される。それから五年間の、舞台・テレビ・映画など目まぐるしくハードすぎる活動。花登・大村の退団、そして劇団解散のゴタゴタ。昭和三十九年の雁之助三兄弟による劇団『喜劇座』の旗揚げから、昭和四十四年の解散まで。それらのいきさつを書くための資料集めは、四十年以上たっているにもかかわらず幸運に恵まれ順調にすすんだが、いま書いておかねばならないことが多くありすぎて、一回や二回で書ききれず、こうして一冊分の原稿量になってしまったのだ。

 連載中、担当の長嶋さんが浪曲に入れ込んで、浪曲三味線の稽古をしていると思ったら、いつのまにか浪曲師・玉川奈々福として活躍していた。私にとって浪曲は仕事の一つだっただけに、長嶋さんがプロの浪曲師になり最終的に筑摩書房を退社するという予想もしていなかった展開は大きなショックだった。筑摩書房から出版するプランは新しい担当者に引き継がれた。
 連載時の原稿を読み返してみると、毎回の終わりに次回の展開を期待させるようなエピソードを書くというテレビの連続物の手法を使っているのがどうもイヤ味で、連載のつなぎ目のすべてに手を入れたためにこんなに時間がかかってしまった。
 装丁を南伸坊さんにお願いしていただいたのが嬉しかった。南さんの装丁は二冊目で、昭和五十九年にトクマブックスシリーズで上梓した『笑算われにあり』で、カバーに似顔絵を描いていただいて以来。本を並べて自分の似顔絵を見てみると老けたなアと思う。仕方がない。八十四歳だもの。

2017年9月5日更新

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澤田 隆治(さわだ たかはる)

澤田 隆治

1933年大阪生まれ。戦後朝鮮から富山県高岡市に引揚げる。さらに兵庫県尼崎市で暮らす。神戸大学文学部卒業後、朝日放送入社。ラジオプロデューサーからテレビディレクターとなる。その後、退社独立。漫才ブームの仕掛け人、お笑い界のドンともいわれ、テレビの草創期から今日まで、『てなもんや三度笠』『スチャラカ社員』『新婚さんいらっしゃい』『ズームイン!! 朝』『花王名人劇場』など、様々なジャンルの人気番組を送り出す。放送以外でもイベントプロデューサーとしても活動する。現在は株式会社テレビランド代表取締役、笑いと健康学会会長、放送芸術学院専門学校学校長、日本映像事業協同組合名誉会長を務める。

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