単行本

ひそやかな、しかし晴れやかな画文集

『船の旅 詩と童話と銅版画 南桂子の世界』

 小首をわずかにかしげ、少女がぴんと背を張ってこちらを見つめている。羊を連れていたり、落葉が降り注いでいたり、蟹や鶏や魚が隣に飛んでいたり、月がぽかんと浮かんでいたり。その眼差しはだれの視線とも交差せず、すべてを突き抜けて世界の涯に届くかのようだ。巻末に寄せた「友だちのお城」で、小川洋子はこんなふうに書いている。
「その証拠に、例えば少女と名付けられた彼女たちの黒い瞳や固く閉じた唇やなで肩のラインは、幼さよりも老成した寂しさを感じさせる。特に羊を連れた彼女の足元の、何とひっそりしていることだろう。見送る人もないまま、羊と犬と一緒に、これから死者の国へ歩み出そうとしているのではないかと、思ってしまうほどだ。
 本当ならば、静か、などというありふれた言葉はふさわしくないのかもしれない。そこにはどんな言葉も届かない、深くて澄んだ空気が流れている」
『船の旅 詩と童話と銅版画 南桂子の世界』と題されたこの画文集は、長い旅のあげく、いま静かに港に辿りついた小船のようだ。エピグラフには「船はボーッと汽笛を鳴らしました。さあ、出発!!」とあるけれど。終点と振りだしを繋げて、この一冊は往還の世界への入り口をそっと差し示している。
 南桂子の人生もまた、風変わりな航路を辿った。一九一一年、富山生まれ。高等女学校時代から絵画や詩作に触れ、三十四歳で上京。佐多稲子に紹介され、童話作家を志して壺井栄に師事する。のちに夫となる画家、浜口陽三と知り合って銅版画への関心を深め、表現を模索しながら童話も執筆。本書に収録されている十篇の童話の多くは、この時期に書かれた作品である。五三年、四十二歳のとき船で渡仏。いよいよ本格的に銅版画家の道へ。二人の最初の住まいはパリ十四区グラッシエール。四年後、ニューヨーク近代美術館がクリスマスカードに「羊飼いの少女」、翌年ユニセフがグリーティングカードに「平和の木」を採用。物語性豊かな独自の作風が広く親しまれてゆく。七十一歳から十四年間、サンフランシスコに住んで制作活動を続ける。二〇〇四年、九十三歳で他界。
 母は情熱的な歌を詠む歌人だったという。十二歳のとき父が死去、後見人となった叔父の勧めで、不本意な結婚をするが、上京後に離婚。童話や銅版画の制作は、自立の手段でもあった。パリ時代、夫が眠りについたあとも、銅板に向かって制作に励んでいたという。しんと静まった夜ふけ、闇を彫りこむ音がわたしたちの耳にも響くかのようだ。パリの夜のしじまからの授かり物、それが少女の眼差しなのだった。
 ページをめくりながら、思う。はじめて出逢ったときから、わたしは、胸のどこかに南桂子の世界の住人たちを棲まわせてきたのではないか。少女を筆頭に、ひそやかな会話を交わし続けてきたと思わせられてくるのだ。それは、ここに彫りこまれているのは、自己表現の衝動ではないから。朧ろな幻想でもない。漂泊する魂が掴んだ人生の驚きや発見、または孤独、喪失、あるいは祝福。あのエキゾティックな大つぶの瞳を見開き、南桂子が向き合った現実そのものなのだ。ふくろう、樹木、花、果実、蝶々、湖畔、かもめ、キツツキ、森、人魚、風船、船、月。現実の化身だからこそ、くっきりと屹立し、ひとつひとつの存在がきわめて強いものとして見る者の胸に迫ってくる。
 おしまいの十篇めに置かれた童話は「毛虫の旅行」。菜の花の香りに誘われて目を覚ました毛虫が、目のくらむような「青いもの」を見るために旅にでかける。黒いつやつやした毛を光らせながら目指すのは、遥かな海。波頭の向こうに見えるのは富山だろうか、パリだろうか、サンフランシスコだろうか。
 ひそやかな、しかし晴れやかな画文集。「船はボーッと汽笛を鳴らしました。さあ、出発!!」。振りだしなのに、長旅の土産話もすでにたくさん。航路はいぜん謎に包まれたままだ。

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