ちくま学芸文庫

宮本武蔵の原点に戻る

 戦国から江戸期の剣豪として、今もヒーローであり続ける宮本武蔵。彼は実際には一体、どんな人物であり、どういう考え方の武士であったのか。この問いにあたり、彼自身の著作『五輪書』に勝(まさ)る手がかりはあるまい。ところが、この有名な書物を、私達は今までしっかりと読み、理解してきたとは言い難い。武術の稽古場においてすら、私の知る限り、武蔵の教えは充分には活かされていない。武蔵の論は、足の運び方ひとつでも現代剣道とは異なり、古流の形稽古についての観点も、近代以降の通説とは一線を画する。今回、この武蔵の力作が、新たに登場するのは朗報だ。佐藤正英氏によって、全巻が丁寧かつ自然な現代語に訳されている。原文と並行しながら、改めて熟読すると、彼の勝負師としての訴えが生々しく迫ってきた。
 武士の道はとかく美化されやすい。特に、剣の道は精神的な成長過程と見なされ、武蔵は、まさにその道を辿(たど)る象徴的人物として、様々な小説や漫画などに登場してきた。だが、彼自身は、人生においてどう変わったのだろうか――と、本書を読みながら考え込んだ。三十歳頃までに試合を何十度も行ない全勝、その後は兵法の奥を志し、果し合いは慎んだものの、一貫して、いかに他者を圧倒し、勝利するか、剣を執っていかに合理的に人を斬るかにこだわって、勝つ理(ことわり)を体得したという。更に、私利私欲を捨て去ると明言する武蔵が唯一、捨てなかったのは、「名利(みようり)」つまり、勝つことで得られる武士の名誉だ。
 全編にわたって、彼は、心身の偏りを戒めている。強くあろうとし過ぎるのもよくない、早く攻めようとばかり思うのもよくない、等々……。その武蔵が、勝つことにだけは異様な執着を見せるのである。それが、特定の思想に基づかない、今回の『五輪書』の客観的な見せ方によって、よく浮かび上がっている。敵が負けたように見えても手を緩めず、決して立ち直れないくらい追い立てろ、といった行(くだり)は、斬り合いではもっともな理ながら、読んでいて、武士の闇の一面を見た思いがした。
 武蔵の「勝ち」へのこだわりは、実戦にのみ留まらない。二天一流という自流の正当性が、いかに確かかも力説している。他流の問題点を並べるだけで一巻を成すところが凄まじい。内容は鋭く、納得する部分も多い。様々な流派の稽古者にありがちな偏りや思い込みを指摘している名言ではある。しかし、他流の非を述べるなと教え、平和を追求した柳生新陰流などの姿勢とは、対極にある述べようだ。武蔵はまさに、乱世の申し子といえるだろう。
 彼は『五輪書』を通し、弟子に戦士のあるべき道を示したと考えられる。が、現代人にとっては道徳的な本とはいいづらいし、容易に共感し得る内容でもないと、私は思う。戦国の末に、兵法の修行と実戦に賭け、かくも凄まじい感覚と思考をもって生き通した侍がいたということを、知り得る書物なのだ。武蔵はおそらく、他を排し、打ち負かし、己のみを信じることで、誰からも侵されない武士の意気地を守ろうとしたのだろう。それはある意味、身分制度にすら頼らない生き様(ざま)と見える。
 少々刺激的過ぎるとはいえ、本書は現代人にとって大いに役立つだろう。序盤の巻では、大工などを例に挙げて、仕事への取り組み方や、人の使い方などを明快に説いている。また、今の日本人の、武蔵の時代とはかけ離れた価値観や道徳観念に一石を投じるという働きももつに違いない。日頃、自分の力と知恵で我が身を守り、生き抜くのだという信念、覚悟に乏しい私などは、ある種の新鮮な緊張感に心打たれた。武蔵の気概と集中力、そして、勝つための明解な心得を学べば、迷いや弱気を捨て去るヒントになると思う。
 今回の底本は、二〇〇三年に発見された福岡藩家老吉田家本で、誤記等も少ないとされる。「兵法三十五か条の書」と「独行道」にも全訳が付き、解説も手厚い一冊だ。これを機会に、多くの人が生の武蔵の言葉に触れ、既存のイメージを一旦、崩壊させたり、改めて畏怖したりすることは意義深いだろう。

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