ちくまプリマー新書

経済学者たちが残した名言

 この度、私は、「ちくまプリマー新書」の一冊として『経済学はこう考える』と題する小さな本を書いた。「ジュニア」(中高生だけでなく、大学の初学年までを含むものと理解していただきたい)のために物を書いたり話をしたりする機会は滅多にないが、せっかく与えられた機会なので、若い読者たちに私自身の経済学観が伝わるような書き方をしたいと思った。経済学を若い読者たちに教えることの困難は重々承知しているが、どんな学問であれ、自分が長年研究してきたことが専門家以外にはまったく理解できないというのでは、あまりにも寂しい。人文・社会科学の場合は、とくにそうである。
 第一は、経済学の考え方が一通りではないということである。経済学部に入学すると、若者たちは、ミクロ経済学やマクロ経済学の教科書で初めて経済学という学問に触れるのがふつうだが、教科書というものは、現時点でのスタンダード・エコノミックス(「主流派経済学」と言い換えてもよい)に基づいて書かれているので、彼らは、それ以外に経済学の考え方があることを知らずに経済学部を卒業する可能性がある。
 だが、現代経済学が形成されるまでの歴史を主に研究してきた私は、「経済学」といっても、過去にはいろいろな考え方があり、現在「主流派」と呼ばれている経済学も、それと対立する考え方との論争を通じて形成されてきたことを伝えたかった。ジョーン・ロビンソンという女性の経済学者(ケインズの愛弟子で、ある段階から、主流派の徹底的な批判者として有名だった)に一つの章を割り振ったのもそのためである。
 第二は、過去の偉大な経済学者たちの「言葉遣い」には独特の意味があったことである。たとえば、ケインズは、「豊富のなかの貧困」という言葉を使ったが、大学の経済学史の講義で教えた経験からいっても、その言葉は正確に理解されているとは言い難い。その意味を正確につかまなければ、実は、ケインズの「有効需要の原理」を理解したことにはならないのだが、スペースの関係で、その「種明かし」は拙著に譲ることにしよう。教科書だけで経済学を学んでいると、「言葉遣い」には無頓着になりがちだが、同じ言葉でも経済学者によってはまったく違った意味で使用される場合は決して少なくない(詳しくは、拙著『経済学とは何か』中央公論新社、二〇〇八年、を参照のこと)。
 第三は、第一とも関係があるが、経済学の「通説」を鵜呑みにせず、それを場合によっては疑ってみる「批判的態度」を養ってほしいことである。ただし、若い読者たちに誤解されないように、同時に現時点でのスタンダード・エコノミックスをしっかり学ぶことも強調しておいた。「正統」がわからずして「異端」を語ることは決してできないからである。J・ロビンソンの友人で、アメリカの異端派経済学者として有名だったガルブレイスは、主流派の主要な前提となっている概念(「消費者主権」「市場に従属する企業」など)を「制度的真実」(この場合は、経済学界の内部でしか通用しない考え方を指している)に過ぎないとして徹底的に批判したが、この場合も、消費者主権に基づく主流派の消費者選択の理論や完全競争を仮定した一般均衡理論などを前もってきちんと学んでおかなければ正確な理解はおぼつかない。
 ところで、拙著の第一章には、「冷静な頭脳と温かい心」という言葉で有名なマーシャル(ケインズの師匠筋に当たる)を取り上げたが、この言葉は現代にも通じる名言ではないだろうか。ベルリンの壁の崩壊以降、市場経済の「効率性」ばかりを強調した論調が勢力を増してきたが、経済問題は「効率性」ばかりでなく「社会的公正」にも目配りしなければ本当の意味での解決には至らない。効率性を「冷静な頭脳」に、社会的公正を「温かい心」に読み替えれば、マーシャルの言葉も現代的な響きがすることに気づくのではないだろうか。