単行本

百年持つ梅干しを作る

『百年の梅仕事』乗松祥子/聞き書き・塩野米松

 青梅をセラミックスのおろし金で摺りおろす。三キロの梅の実を摺りおろし、それを漉して果汁だけをじっくり煮詰めていく。三日をかけて、弱火で、焦がさぬように煮詰め、粘りけのあるどろりとした梅肉エキスを作り出す。
 誰もいない厨房で、鍋の底をゆっくりへらでかき混ぜ、手に伝わってくる感触を楽しむ。初めはさらさらしていた液が次第に重さを増してくる。表情も刻々と変わってくる。香りが立つ。色が濃くなってくる。泡が出ては消える。アクが出ては溶けていく。その変化が楽しいのだ。静かな時間と、加減の利いた火、その時間に浸った人間の緩やかな攪拌。それが、人間の細胞を活性させてくれる梅肉エキスを生み出すのだ。出来上がるのは三キロの梅からたったの六〇グラム。
 シェイクスピアの『マクベス』に出てくる魔女たちの仕事場のような雰囲気を持つ光景である。これが乗松さんが梅肉エキスを作り出している厨房の様子だ。
 乗松祥子さん、昭和十五年愛媛県に生まれた。家は魚の仲買から小売り、料理屋を営んでいた。八人兄弟の下から二番目。高校卒業後、医院や本屋、会計事務所勤め。普通の女の人の道を進んだ。その後懐石料理「辻留」に二十年ほど勤める。あの名料理人辻嘉一氏の店である。乗松さんはそこで料理人の修業にはいるのではなく、料理人の側で仕え、辻氏の思想を学ぶ。彼女は言う、「あそこは塾だった」と。その辻留で百年は経つ梅干しに出合った。作家の三角寛氏が辻嘉一氏に贈った物だった。日露戦争の戦況を伝える古い新聞紙に包まれた瓶に入っていたその梅干しはミイラのように干涸らびていた。料理長の指示で梅酢を注ぐと梅干しは甦った。塩に馴染み、みごとに熟成した味だった。
 この梅干しとの出合いから、乗松さんの梅仕事が始まった。
 百年持つ梅干しを作る。
 辻留で働きながら梅仕事の試みが始まる。辻留を引いた後は、鎌倉で「味路喜」という店を、その後代官山で「延楽」という日本料理屋を営みながらの執念の梅干しや梅肉エキス作りだった。
 まずは塩との相性が良く、クエン酸の多い梅に出合うこと。乗松さんが見つけたのは江戸時代頃に開発されたと言われる「杉田」。やわらかく、酸っぱさの少ない梅干しを嗜好する現代では、忘れられていた品種だった。こうした品種は切り倒され、新しい品種に植え替えられていく。僅かに残っていた樹齢五百年の木から枝を取り、挿し木の苗を作り、それを植える作業から始まった。植林は天候異変との折り合いが必要だった。梅の名産地と言われる土地は、近年の温暖化で良い品を送り出せなくなってきた。高度の高い場所、緯度の高い場所、北の地に植えての試みと試行を繰り返す。
 少なくとも百年持つ梅干し作りには、二〇パーセントほどの塩分が必要。そうした塩探し。松葉梅、猿の腰掛けと梅肉エキスの融合の試み。みずからを「梅ばあさん」と呼ぶ乗松さんの梅仕事へのエネルギーは、このままでは日本の食事が駄目になるという危機感に後押しされている。
 改良を繰り返された品種への危惧、塩分を減らし冷蔵庫に入れなければ持たない梅干し、減塩の上、甘さまで加えたおやつのような梅。こうした新製品が本来の梅干しを駆逐してしまうのでは。日本人から梅干し作りやエキス作りという文化を奪ってしまうのではないかという不安。そうした気持ちが、百年持つ梅干し作りを語ってくれた理由である。
 本書は、師である辻嘉一氏のこと、出会った白洲正子、村山リウ、幸田文各氏のエピソードをまじえて、乗松さんが二年にわたって話してくれたものをまとめた聞き書きである。

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