ちくま新書

世界は意味と価値のモザイク

日本のドラッグストアが中国人観光客に人気のわけは? インドネシアでポカリスエットが大人気に? 台湾の吉野家にカウンターがない理由は? 日本企業のアジア進出の成功と失敗の豊富な実例から、アジア市場の論理が見えてくる! 9月刊『消費大陸アジア』の序章を公開します。

世界は意味と価値のモザイク
 
結論から言うと、海外市場に進出をした日本企業は、そこで思わぬ意味づけや価値づけの洗礼を浴びるケースが多く見られる。日本では便利で使いやすいと評価された商品が、使いにくいと評価されたり、無用の長物(無価値)扱いをされたりする。逆に、日本ではごく当たり前で特段の価値づけもされていないものが、海外で思わぬ高い評価を得ることもある。
 このようなことは別に珍しいことではない。近年急増している訪日観光客も、日本のさまざまな事物や風景に対して、日本人が想像もしない意味づけや価値づけをしていることが分かってきている。たとえば、中国人観光客にとっては日本のありふれた農村風景が驚くほど美しく映ることはよく知られる。中国における農村は、経済発展から取り残された貧しい社会の象徴であり、都市住民(都市戸籍所有者)からすれば貧しい出稼ぎ労働者を都市に送り込んでくる場所でしかない。また、農村部の人たちは貧困ゆえに教育を十分に受けていない人も少なくない。このようなことから、都市住民にとって農村のイメージは非常に暗いのである。ところが、日本の農村を訪れてみると、道路は舗装が行き届きゴミ1つ落ちていない。整然とした耕地が広がり、さらに集落には立派な家屋が立ち並んでいる(中国人には別荘のように映るらしいが)。そして、各家庭には自家用車があり、農業も機械化が進んでいる。何よりそこに暮らす人々は教育水準も高く、近くには大型スーパーもあって何でも揃っており、都市部とたがわぬ豊かで快適な日常生活を送っている。これはまさに驚愕の風景に他ならない。
 同じ風景が、日本人と中国人とでは、まったく異なる意味を持ち、消費者にまったく異なるメッセージを与えるのである。その結果、中国人観光客にとって、日本の農村は中国と日本の違いを最もよく感じ取れる興味深い場所であり、同時に日本という国や国民生活の水準が一目で理解できる場所となっている。つまり、「ぜひ訪れてみたい」と思わせる魅力と価値があるといえる。
 このような意味づけや価値づけの日中の地域間ギャップと同じことが、実は海外市場に持ち込んだ日本の商品を巡る意味づけや価値づけにおいても日常的に生じているのである。
 1つの同じ商品や店舗が、世界のそれぞれの市場でまったく異なる意味と価値を持つことが、世界のあちこちで生じているのである。
 換言すれば、世界は多様な意味づけと価値づけを行う場所の集まりなのである。「世界は意味と価値のモザイク」と言ってもよかろう。国境を越えるごとに、そこには異なる意味づけと異なる価値づけをする「仕組み」が存在している。日本で生まれた商品には、日本の文脈の下で、特定の意味づけと価値づけがなされている。それを別の国(市場)に持ち込めば、まったく異なる文脈の下で異なる意味づけがなされたり、価値づけがなされたりするのは、いわば当然のことであろう。
 この異国での異なる意味づけと価値づけは、当該の商品にとって好ましいものもあれば、好ましくないものもある。好ましい場合は、それを維持・強化する方策(マーケティング戦略)を立てる必要があり、好ましくない場合は意味づけを変える方策を立てる必要がある。それを各市場で繰り返していくことで、その商品が世界各地で高い価値を消費者に提供していく、これがグローバル戦略のひとつの姿だと考えられる。ただしこの場合、市場ごとの価値の内容は必ずしも同じ(同質)であるとは限らないことには留意が必要である。

「意味づけ」「価値づけ」を巡って
 
ここで、本書のキーワードとなる「意味づけ」や「価値づけ」という言葉について少し補足をしておきたい。「意味づけ」については、マーケティングの世界では以前から検討されてきたテーマでもある。人は商品をどのように意味づけ、価値づけて購入するのか、という根本的な消費(購買)行動を理解するキー概念と見なされてきたからである。また近年では、SDロジックという新しい視点からの﹁価値づけ﹂の再検討も行われつつある。
 詳細はここでは触れないが、それらの中には本書の議論に通じる部分も見られる。
 ただし、それらは基本的に個人レベルの消費・購買行動における意味づけや価値づけを議論したものである。そこには、市場(地域)レベルでの意味づけや市場の文脈を捉えるという視点はない。本書は、海外の消費市場でのマーケティングを前提に、海外における市場(地域)レベルでの「意味づけ」や「価値づけ」がもたらす影響を正面から捉えたものである。それゆえ、後に述べる「フィルター構造」「市場のコンテキスト」「地域暗黙知」といった市場(地域)レベルで意味や価値を生みだす仕組みを捉える概念を検討している点が大きな特徴となっている。日本企業の海外市場での経験を「意味づけの次元」から捉え直して紹介しつつ、消費市場の解読法を検討した本書は、これまでにない立ち位置をとるものであることを理解していただきたい。

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