源 顕兼

源 顕兼みなもとの あきかね

【編】1160(永暦1)—1215(建保3)年。鎌倉前期の人。『中外抄』を書写するなど有職故実に通じ、説話文学に果たした役割は大きい。『新古今』の歌人たちと広く交友を結ぶ。とくに藤原定家とは親しく、顕兼の妻女子が没したときには、互いに涙を拭ったほどであったという。