ちくま新書

洞窟探検への招待

狭い、暗い、死ぬほど危ない! なぜ、そんなに苦しい思いをしてまで、洞窟に潜るのか? 「クレイジージャーニー」「情熱大陸」などテレビでおなじみの洞窟探検家・吉田勝次氏による『素晴らしき洞窟探検の世界』(ちくま新書、10月刊)プロローグの一部を公開いたします。 「洞窟王」吉田勝次氏の熱い思いと、冷や汗をかく危機一髪エピソードをどうぞ!

†自然洞窟との出会い
 子供の頃はバスで1人で観光鍾乳洞へ行くぐらい洞窟が好きだった。そして洞内がライトアップされた観光鍾乳洞でも、ライトアップされていない通路や「これ以上は立ち入り禁止」という看板の奥に行ってみたいと思っていた。
 観光鍾乳洞ではない、自然の洞窟に入る機会に恵まれたのは28歳のときだった。初めて入ったその洞窟は観光化されてないとはいえ、いま思えば入るのは大変でなく、見所も少なかった。それでも、洞窟の暗闇の中を進みながら「これだ! これだ! やっと見つかった!」と思った。目の前は真っ暗なのに、頭の中がパッと明るくひらけた感じがした。
 自然の洞窟は、大人1人がやっと通ることのできる狭い通路、垂直の縦穴は当たり前。わずかな空間が水に満たされ、地下河川や地底湖になっていることもよくある。そして、これから本書で詳しく紹介していくように、暗闇の中には実に変化に富んだ地形が待っている。洞窟の奥には入口からは想像できない世界が広がり、その景色を到達した者以外は見ることができない。
 洞窟の中を進むためには、スキルが必要だ。シングルロープテクニック(ロープを登り降りする洞窟探検やレスキューに特化した技術の総称、SRTと略す)が有名だが、その他にもスキューバダイビング、ロッククライミング、登山などの技術が役立った。僕がそれまでに何気なく始めていた趣味の技術が、どれも洞窟探検に使えたのである。また土砂や岩で埋没した空間を掘り進むための土木技術として、本業の建設業のスキルが活きた。それまでの人生で取り組んできたことすべてが洞窟探検につながったのだ。

†洞窟探検とは
 国の天然記念物でもある秋芳洞(山口県)、世界遺産のカールスバッド洞窟(アメリカ)やフォンニャ洞窟(ヴェトナム)などのいわゆる観光洞窟には一年中、大勢の人が訪れる。訪れれば、きっと人それぞれ、洞窟の何かに心が動かされると思う。
 しかし、同じ洞窟に入る行為でも、こうした観光洞窟の奥の観光化されていないところや、まだ誰も入ったことのない未踏の洞窟に入るようなものこそが「洞窟探検」であり、これは日本ではまだあまり馴染みがないが、海外とくに欧米では「Caving ケイビング」というアウトドアスポーツとして人気がある。中でもフランスは、もっとも盛んな国として知られている。
 さらに洞窟探検は、スポーツ的な面からだけではなく、学術的にも興味深いものである。昔の人の住居跡や絶滅した生き物の化石が残っていたり、目の前の生き物がその洞窟だけの固有種だったりもする。考古学、地質学、地理学、水文学(すいもんがく)、古生物学、生物学、人類学など多種多様な学問と密接な関係にあるのだ。ただ穴の中に入って帰ってくるだけではなく、入れば何かしら発見があるのである。

イラン「3N洞窟」。見事な塩の結晶を見ることが出来る驚くべき洞窟(本書口絵より)

 洞窟探検とは何か。「洞窟」は、携帯電話も無線もGPSも使えない、太陽光も届かない非日常の世界だ。そして「探検」は「日常とかけ離れた状況の中で、危険を覚悟しつつ、未知の地域へ赴いて調べ、何かを探し出したり明らかにする行為」である。つまり、先が見えない人類未踏の洞窟に潜ることこそが、本当の意味での「洞窟探検」だと僕は思う。
 現在は、人工衛星のお陰で、奥深いジャングルでさえ容易に空から見ることができる時代だ。それにほとんどの山は誰かが登り、地表に人類未踏地はないと言っていいかもしれない。だとすれば、地球上に残された未踏の世界は、深海か地底のどちらかしかない。
 深海は、潜水調査船に乗らないと行けない。だから、人の力のみで進む探検家にとって残された唯一の未踏の地は、洞窟である。地球上の、まだ誰も足を踏み入れたことのない世界を探検するなら、洞窟探検家になる以外に道はないのだ。

関連書籍

勝次, 吉田

素晴らしき洞窟探検の世界 (ちくま新書)

筑摩書房

¥1,012

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