からだは気づいている

第1回 掛け声の謎

日ごろ私たちが無意識に行っている様々な動作には、実は精妙なプロセスが潜んでいます。 人間行動学者の細馬宏通さんが、徹底した観察で、さまざまな日常の行動の謎を明らかにする連載、 第1回のテーマは「掛け声」です。

掛け声に関するいくつかの問題
 掛け声をかけようとするとき、まず問題なのは、どの掛け声を使うかということだ。わたしたちがものを持ち上げるときに使う声はいくつもある。「せーの」や「よいしょ」の他にも「どっこいしょ」「うんしょっ」「あらよっと」「いちにーのーさん」などなど、あるいは英語話者なら「レディ? ワン・ツー・スリー・リフト!」などと言うかもしれない。1人で持ち上げるのなら自分の好きな掛け声でよい。しかし誰かと持ち上げるときは、同じ掛け声をかけなければ意味がない。片方が「よいしょ」、もう片方が「いちにーのーさん」では、かえってタイミングが合わなくなってしまうではないか。
 この問題を解くもっとも単純な方法は、あらかじめ簡単な打ち合わせをするということだ。たとえば、ただいきなり「よいしょ」と言うのではなく、

A「じゃ、よいしょ、でいく?」
B「うんいいよ」
A「じゃいくよ」
B「オーケー」
A/B『よいしょ!』
 
 という具合に。確かに、こういうやりとりをすることはある。わたし自身、かなり重いものを運ぶときには、慎重を期してこうした短い打ち合わせをやった覚えがある。しかし、たかがそのへんの机をちょっと運ぶくらいで、いちいち打ち合わせをするだろうか。打ち合わせがないとしたら、どの掛け声でいくかをわたしたちはいつの間に合意するのだろう。この、掛け声をどれにするかという問題は、これから先も扱うので「掛け声選択」問題と呼んでおこう。
 掛け声選択問題以外にも、問題はある。
 たとえば、スピードはどうすればよいか。「よいしょ」ひとつとっても、せっかちに「よいしょっ」と言う人もいれば「よーいーしょ」と緩やかに言う人もいる。そしてたとえ「よいしょでいく」と打ち合わせたとしても、必ずしもお互いが実際に自分の掛け声のスピードで合意しているとは限らない。たとえば相手が「じゃ、よいしょ、でいく?」と尋ねてきたときに、「いや、よいしょ、じゃなくて、よーいーしょで」「もっと早くよいしょっで」などと細かい注文を出す人がどれくらいいるだろうか。
 さらに、掛け声のどこで動作を行うかという問題もある。例えば、あなたは自分が「よいしょ」のどこで力を入れるか考えたことはあるだろうか。試しに「よいしょ」と言いながら軽く何かを持ち上げるところを想像してみていただきたい。おそらく、最初の「よ」のところで力を入れた人もいれば、「しょ」のところで力が入った人もいたのではないだろうか。せっかく掛け声を統一しても、掛け声のどこで動作を開始するかがバラバラでは仕方がない。

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