相手に遅れて合わせる
こうして見ていくと、掛け声選択問題とスピード問題とが、実際の作業ではどのように解決されているかが見えてくる。つまりは、相手の声に合わせればよいのだ。
もし、2人がどんな掛け声をどんなスピードでかけるかをそれぞれあらかじめ計画しておき、その計画通りに声を発したならば、その2つが合う確率はとても低いものになるだろう。そもそも、「せーの」の最初の一音をいつ発すれば同時になるかがわからない。しかし、相手に遅れて後から合わせば、相手が何をしたいかある程度予想はつく。いわば、相手の唱える答えの一部をきいてから、残りの答えを推測して残りの答えをあわてて唱えるということをやっているのである。
ここで重要なポイントは、どちらが先に声をあげ、どちらが後から遅れてついていくかは、あらかじめ打ち合わせられているわけではないということだ。「わたしが先に声を上げるね」というような礼儀正しい発話は観察されない。たまたま先に声を発した側にもう1人が遅れて合わせるという形で、掛け声の種類やスピードは決定していくらしい。わたしたちは意外にいい加減かつ巧妙なやり方で、掛け声選択問題とスピード問題を回避しているのである。
さて、掛け声に注目しただけでも、わたしたちがふだん何気なくやっている行為は、意外に多様であることがわかってきた。わたしたちは、ただ簡単に机を運んでいるのではない。実際には発声のずれに対してお互いに微妙なコントロールを用いているにもかかわらず、それを「机を運ぶ」という一つの現象として簡単に考えているだけなのである。
しかし、実はこれはまだ話の序の口だ。わたしたちの動作を考える上で重要なのは声の発し方だけではない。掛け声のどこで動作を開始するか、そして、声以外のどのような身体行動が机運びにかかわっているかということが問題だ。その微細な違いにあえて分け入ることで、わたしたちのコミュニケーションに対する考え方は徐々に改められることになる。これらの点については次回、詳しく論じよう。
日ごろ私たちが無意識に行っている様々な動作には、実は精妙なプロセスが潜んでいます。
人間行動学者の細馬宏通さんが、徹底した観察で、さまざまな日常の行動の謎を明らかにする連載、
第1回のテーマは「掛け声」です。