生き抜くための”聞く技術”

第16回
2018、そして1984

重い歴史を背負う「言い換え語」

 きょうは古くて新しい話をしようと思う。
 「8月15日は何の日ですか」と訊かれたら、どう答えるだろう。ほとんどの人は、「終戦の日」と言うだろう。ぼくだってそうだ。日本にとって戦争が終わったのは、アメリカの戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した日、つまり9月2日だよ、なんて野暮なことは言わない。日本人の記憶のなかでは、天皇陛下がラジオで無条件降伏することを宣言した、まさに8月15日こそ終戦の日にふさわしいのだろう。


 言いたいのは日付じゃない。一緒に考えたいのは終戦という言葉についてだ。降伏文書に調印したことからもわかるように、日本は戦争に負けた。じゃあ、敗戦なんだから、8月15日は「敗戦の日」とするほうが実態にあってるんじゃないかなと言ってもみたくなる。  
 でも「そんなの野暮だよ」という声が聞こえてきそうだ。「そんなことわかってる、その悲しみを抱きしめるには、敗戦じゃあ、あまりに救いがないだろう? それに当時の日本人の感覚では長い戦争がやっと終わった、つまり終戦という言葉のほうがしっくりきたんじゃないかな」と。
 そうなのかもしれない。だからこうして定着しているものを変えるべきだと言うつもりもない。でも「敗戦」を「終戦」と言い換えることで、ぼくたちが失ってしまうものがあることは意識しておきたいと思う。


 あれは本当に無謀な戦争だった。もともと最初から勝ち目のない戦いだったうえに、兵士は食料も水も、軍の用語で兵たんと言われるものもほとんどないまま過酷な戦いを強いられた。その結果、失われた日本兵200万人以上のうち、半数以上が餓死や病死といった戦闘ではない死なのだ。そんなバカな戦争をしたという反省を留めておくためには、「敗戦」というほうがより効果があるに違いない。「終戦」だと人為的な匂いが薄まり、まるで台風が過ぎて行ったように戦争が終わったかのような印象を与える。それを意図して「終戦の日」にしていたとしたら、その目的はまんまと達したことになるだろう。


 戦争が終わってからばかりではない。むしろ戦争中のほうが、こうした「言い換え語」は多かった。たとえば日本軍の部隊が負ければ「全滅」と呼ばず、「玉砕」と発表した。作戦をたてた人間たちは、兵士たちの死を「玉砕」という“美しい死”にすり替えることで、自分たちの失敗を前向きな出来事のように装った。敵に押されて日本軍が退いた場合にも決して「撤退」という言葉は使わず、「転進」と表現した。真珠湾攻撃から1年もたたないうちに日本軍は劣勢になっていたのに、その事実を覆い隠すためにも「言い換え語」は使われ続けた。


 もしこうした「言い換え語」を使わず、ありのままの戦況や死者数を発表していたら、どうなっていただろう。国民に厭戦気分が広がり、政府ももっと早く戦争を終結させる方向に動かざるを得なくなったかもしれない。そうしたら、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下、東京大空襲など日本各地への空襲で失われた命を救うことが出来ていたかもしれない。

今も使われ続ける「言い換え語」

 こうした重い歴史を背負う「言い換え語」は、その後、日本では使われなくなった。と言いたいのだけれど、残念ながらそうはなっていない。


 時計の針を今に戻そう。
 たとえば去年の国会。
 日本はアフリカの南スーダンに陸上自衛隊を派遣していた。PKO(国際平和維持活動)に参加するためだ。そのとき南スーダンと反政府勢力の間で武力交戦が起き、自衛隊員が毎日つけている日報には「戦闘」が起きたと記されていた。ところが政府は、これは「戦闘」でなく「衝突」だと繰り返した。かつて「撤退」を「転進」と呼んだのと、どこか似ているよね。


 現場の自衛隊員が「戦闘があった」と日記(日報)につけているのに、なぜ頑ななまでに「戦闘」という言葉を避けて、そうした言い換えをしたのか。当時の稲田朋美防衛大臣が、去年2月の国会で質問に答えてこう説明している。
「国会答弁する場合、法的な意味において、憲法9条上問題になる言葉を使うべきではないから、一般的な意味において武力衝突という言葉を使っている」
 本当は「戦闘」なんだけど、法的にまずいから「衝突」という言葉に“言い換えた”と説明した(としか聞こえない)のだ。そうした言い換えはややもすると、事実を、自分たちに都合のいい(見たい)事実に変えてしまう。どこかの国の大統領顧問の女性が「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)」と言い切るほど開き直ってはいないけれど、そこに内包する問題は共通するものだ。

 法律の名前も「もうひとつの事実」になっていないかどうか、よく聞いたほうがいい。
どの政権にかかわらず、政府は自分たちが通したい法律は、より耳障りのいい国民受けしやすい名前にしたいと望むものなのだろう。たとえば、

 安全保障関連法   → 平和安全法制
 カジノ解禁法    → 統合型リゾート施設整備推進法
 年金制度改革関連法 → 将来年金確保法
 共謀罪       → テロ等準備罪

 大事なのは実態だ。名前の響きに惑わされず、その法案の本質は何か、名前自体が「もうひとつの事実」になっていないか、しっかりと聞くことがとても大切だと思う。
 こうしてあげたのは、ほんの一例だ。ぼくたちが生きている世界は「言い換え語」で満ちていると言ってもいい。油断すると、何が本当なのかわからなくなってしまう。

 ジョージ・オーウェルの小説『1984』で描かれる未来の世界では、国民を洗脳するため、こんなスローガンが繰り返し唱えられる。
「戦争は平和である」「自由は服従である」
 そして主人公は役人で、事実を改ざんして歴史や記録を書き換える仕事に携わる。その役所の名前は真理省。真理という言葉すら、言い換えられてしまうのだ。
 こうした世界に疑問を感じる主人公は自分のノートに「自由とは、2+2=4と言える自由だ」と書いていたが、最後はこうノートに書くことになる。
「党が2+2=5と発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるだろう」
 みなさん、どうぞ言い換え語にご注意を。

 

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