■本当の傑作は読めるけど読めない!?
川上 巻頭と巻末がこの二作であることは、直観でわかりました。あと、既に亡くなられた方については、女性号のコンセプトに照らして、この作品をおさめたい、いまの作家たちと並べて読んでもらいたいという作品を並べたんですけど、ひとつのトーンは出た気がします。穂村さんが言って下さった「造物主への異議申し立て」というのはたしかにそのひとつなんですが、たとえば、左川ちかとか葛原妙子のような書き手は何を言っているかわからないときとすごくわかるときがあるんです。造物主による初期設定を詩が問うときに、シンパシーとワンダーのバランスがうまく取れているか取れてないかが作品の出来をわけますよね。短歌はいまは口語短歌が一般的になり、誰でも書けるし読める、そうするとおおむね共感ベースの表現がされるわけですけど、俵万智さんや穂村さんのように、読めるけど何かが違う、つまりワンダーの配合によってオリジナリティの高い表現になっているということがある。驚嘆しながら、その驚嘆の部分が普遍的な共感につながるのが重要なんです。本当の驚嘆だけだったら、他人にはわからないわけだから。
穂村 だから本当の傑作というのは逆に手がつけられなくて、なんかすごいことは伝わるんだけど読めている気がしないんです。そこまでいかない、変な言い方だけど、優れた作者の微妙な作品というのがいちばんそのひとが何をやろうとしたのかという手つきが見えるんですね。
葛原妙子で言えば、「なぜにかく男子(をのこ)ばかりが押し合へる 時計修理承りどころ」という短歌がありますけど、何を言っているかと言うと、時計修理コーナーをちらっと見たら男でぎっしりだったと(笑)。なんでそんなことを短歌にするんだと思いますけど、葛原はここで摂理としての性差を問うているわけです。「神よ、なぜあなたは男というものをこんなにもメカ好きに創ったのか。ごきぶりホイホイみたいに群がってるじゃないか」と。それは裏を返すと、「なぜ女にはしばしばリボンがくっついているのか」という問いかもしれない。それを趣味の問題として片付けずに、いちいち神に問うところに彼女の天才があるんですね。
川上 神に問う動機にワンダーがあるけれども、そこに書かれてる情景としては日常の風景でシンパシーのあるものですよね。ただ、穂村さんがいま解説してくれたみたいに、問い自体に存在するワンダーに気づかれればいいけど、理解されないということもままありますよね。
穂村 たとえば、僕もすごく好きな巻末の短歌「早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴しき人生を得よ」を読むと、これは「早春の」から「立つる」までが「をとめ」にかかっていて、つまりレモンにナイフを立てた女の子を見てそれを素晴らしい、そのまま行けと葛原は言っているわけです。このひとつひとつの語を入れ換えていくとわかるのは、これが手に持っているのが櫛だとこの歌は成立しないんです。女の子が櫛を持ってても、ただ受動的な存在であることを表しているだけだから。ナイフは女性の主体性の象徴だということがわかります。じゃあ同じ刃物で包丁ではどうか。駄目なんです。この時代の包丁は家庭の主婦を象徴するものだから。それを握ってもキッチンから出られない。ゆえにナイフでなければならないし、現実にはたぶん果物ナイフだろうけど、「果物ナイフ」とは書かない。果物ナイフもキッチンあるいはせいぜいリビングから出られないから。あくまでナイフであって、それはレモンを切ることもひとを殺すこともなんでもできる彼女の自由な主体性の象徴なんですね。そう言ってしまえばすごくベタな話で、下の句にしてもなぜ「美わしき青春を得よ」では駄目なのかと言うと、それぐらいであれば少女だったら得られるからです。それは、アメとムチのアメの先取りみたいなものとしてあって、男性中心社会で女性として生涯を生きていく厳しさの前に、動機付けみたいにしてちょっとしたロマンスが与えられる。その思い出を胸に、嫁に行って家事子育て介護とみんなやるんだぞと言われるということに葛原は心底怒りを覚えていて「美わしき青春」なんて要らない、「素晴しき人生」を寄越せと言うんですね。少女は「素晴しき人生」を得るために絶対に櫛や包丁なんて持つなと。
川上 リンゴを薄く剝くなんてしょぼいことをしてはいけない、レモンにナイフを深く突き刺すんだと。
穂村 そうそう(笑)。家族のために剥くな。さらにレモンは直接食べたりしないからいわゆる必需品でないところもポイントで。
ごちゃごちゃと解説したけど、この歌を読めば、そういう一切を問答無用で感じるんですね。それが傑作ということだと思います。
詩と幻視――ワンダーは捏造可能か【前編】
早稲田文学増刊女性号刊行記念シンポジウム・パネル1
昨年9月に刊行されるやいなや大反響を呼び起こした『早稲田文学増刊女性号』。それを承けて、11月26日に早稲田大学戸山キャンパスにて、4つのパネル、計8時間近い長丁場で開催された早稲田文学増刊女性号刊行記念シンポジウムより、川上未映子×穂村弘によるパネル1「詩と幻視――ワンダーは捏造可能か」を2回にわけてお送りします。詩とジェンダーの核心へ細心にして大胆にきりこむ2人のトークをお楽しみください。