それ、ほんとの話? 人生につける薬Ⅱ

第2回 珍しいできごとと、けしからぬできごと

『人はなぜ物語を求めるのか』に続く、千野帽子さんの新連載、第2回!

 報告価値とは、通常の意味の「価値」ではない


 前回述べたように、社会における〈蓋然性の公準や道徳の公準〉から逸脱したできごと、〈尋常ならざるできごと、問題を孕んだできごと、あるいはけしからぬできごとこそ報告価値があるということになる。この型の要点はニュースの本質そのものであり、とくにその強烈な例がタブロイド紙に載るたぐいの話だ〉
(マリー = ロール・ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』[原著1991]拙訳、水声社《叢書・記号学的実践》第24巻、259頁。引用者の責任で改訳しました)
 ここで言う報告価値とは、実用的価値とか文学的価値とかいったこととはべつのものです。僕の考えでは、報告価値を持つ話とは、
「つい自動的に続きを見届けてしまいそうになる話」
のことです。
 〈続きを見届けてしまいそうになる話〉は、必ずしも「続きを見届けてしまいたくなる話」とはかぎりません。
 TVをつけたらワイドショウをやっていて、著名人や有名団体の不祥事をあらゆる角度から追及していたときに、
「みんな(≒番組の制作者)これ好きなんだなあ。俺は個人的にはこの話、もういいんだけどなあ……」
と頭では考えながら、ついだらだらと見続けてしまったことが何度もある僕だからこそ言うのですが、報告価値を持つ話とは、人間の心の、より精神的な部分による意識的な判断よりも手前の──「下の」とは申しません──部分に働いて、続きを見届けてしまうように働きかける話、「好きでもないのに、目をそらすことがどうにも難しい話」までをも含んでるんじゃないかと思うんですよ。
 プライムタイム、とくに番組改編期に民放各社が2時間とか3時間とか放送する「警察24時」なんて、わりとそういう「報告価値」を持つ分野の番組なんじゃないかなあ、と思っています。

 報告価値は意識的判断の問題ではなく、ミームの問題?

 そういう意味でいうと、reportabilityとかnarratabilityといったタームを「報告価値(性)」と訳したのは、ちょっとわかりづらいチョイスだったのかもしれません。この訳語は僕が選んだんじゃなくて、僕が物語論(ナラトロジー)を勉強しはじめたころにはもう存在していた訳語なのですが、日本でちっともメジャーにならないタームだし、思い切って訳語を変えるチャンスかもしれない。もうちょっといい訳語がないかなあ。
 とにかく報告価値とは、実用的価値とか娯楽性とか芸術性とは必ずしも連動しない尺度であるということです。むしろ、英国の動物行動学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』(日髙敏隆他訳、紀伊國屋書店)やサイエンスライターのスーザン・ブラックモアによる『ミーム・マシーンとしての私』(垂水雄二訳、草思社)の言う「ミーム」(伝子)の都合で決まってくるのではないか。
 ミームとはドーキンスが想定した自己複製子の一種で、意味や表現にかかわる要因と見なされます。文化というものを脳と脳とがやり取り(コミュニケーション)する情報としてとらえたとき、このミームというものを、デマや都市伝説、流行語、ウェブのコピー&ペースト、SNSのリツイート(シェア)、ファッションや風習や思想、デザインなどの変化や伝播、隆盛、衰退の背後に想定してみたらどうだろうか、という話です(ミームの定義は論者によって少しずつ違います)。
 ただしもちろん、報告価値のある話が「心の、より精神的な部分による意識的な判断」で好きである、っていうケースもたくさんあります。
 ちなみに僕はというと、「警察24時」系の番組が「心の、より精神的な部分による意識的な判断」で大好きです。「警察」とか「逮捕」とかいったキーワードで検索して、録画してまで観ます。僕にとってはあれ、たいへんに娯楽的価値がある番組なのです。なんなら芸術的価値を感じるとも言える。個人の感想です。

 蓋然性の公準からの逸脱

 犬が人を噛むより人が犬を噛むほうが、つまり蓋然性の公準から逸脱したほうが、物語価値を生む。
 この指摘は、文学理論ではライアン以前にも、ロシア出身のエストニアの記号学者ユーリー・M・ロトマンが『文学理論と構造主義』で早くに明言していました。発信者・受信者の置かれた文脈を度外視するなら、蓋然性の低いできごとほど物語に取り上げられやすいのです。
 「そんなの当たり前だろう」
 はい、おっしゃるとおりです。そしてこういう、
「当たり前すぎてだれもとくに言語化=可視化=意識しなかったことを、わざわざ言葉にして前景化する」
というのは、文学理論の仕事の出発点なのです。
 米国の電気工学者クロード・E・シャノンは「通信の数学的理論」(1948)のなかで、情報量を選択肢の数の対数として定義しました。ウォレン・ウィーバー(ワレン・ウィーバー)が「通信の数学的理論への最近の貢献」(1949)で、以下のようにパラフレーズしています。
〈16個のメッセージがあって、この中から1つを、どれも自由に選ぶことができるとする。このとき、16=24からlog216=4であり、このことからこの状況は4ビットで特徴付けられると言える〉
(植松友彦訳『通信の数学的理論』所収、ちくま学芸文庫、26頁)
 2の4乗の選択肢(16種類の可能性)があって、そのうちのひとつが起こったとき、選択肢全体を半分(1/2、8種類)ずつA群とB群とに分け、起こったできごとが前者に属するかどうかを、yes or noで問うてみましょう。こんどは属している群をまた半分(全体の1/4、4種類)ずつに分け……、と問を繰り返すと、yes or noで4回訊けば判明します。
 コイントスで1回オモテが出た、というふつうのできごとであれば、確率は1/2で、yes or noで1回訊けば判明する報告だから、情報量は1ビット。
 確率1、つまりいつも起こるできごとのばあい(たとえば「明日太陽が昇る」とか?)は、log 1=0なので情報量0になる。
(拙著『人はなぜ物語を求めるのか』70頁で書いたように、太陽が毎日昇る保証はない、だから明日昇る保証もない、という内容のことを、英国の哲学者ヒュームは言いましたが、それはそれとして、の話です)
 コイントスで20回連続してオモテが出た、というレアなできごとであれば、2の20乗(1,048,576)もの選択肢がある。確率は1/220で、情報量は20ビット。確率(蓋然性、probability)の低いできごとの報告は情報量が多い、と情報理論では考えたのでした。

 道徳規範、その他の規範からの逸脱

 ところでライアンは、こういった蓋然性が低いことのほかに、道徳の公準から逸脱したこと、要は「けしからぬ」ことも、報告価値が高いと述べています。
 そもそも僕ら人間に道徳感情というものが発生してきた、その起源は、どういった事情があったのでしょうか。
 人類の進化の現場を検証することはできませんが、ざっくりした仮説ならあります。
 進化の途上、人類がまだ規模の小さな群れでくらしていたとき、あるメンバーの狩猟採集がうまくいかなかった日に、周りのメンバーに獲物を分けてもらえるような互恵的なシステムができてきて、そしてこれがあったからこそ、寒さや物理的攻撃に弱く足も遅く腕力も弱いホモ・サピエンスの小さな群れたちが、滅ぶことなく、地球上でのその後の繁栄へいたることができたのではないか──という考えかたがあるわけです。
 これについては、おととし「人生につける薬」Part Iの第8回で触れたことがあります。あのとき僕は、つぎのように書きました──

〈単に、親切な人が好かれるというだけでは、このシステムは機能しません。
 ずるい人やがめつい人が嫌われ、自分はなにも提供しないのに他人からもらってばかりのフリーライダーが共同体から排除され、不正をおこなったメンバーが罰を受ける、というところまでいかないと、このシステムは完成しないのです。
 ここから、道徳というものが生まれ、また法という制度もこのシステムにかかわっています〉

 さて、前の連載でも強調しましたが、道徳はあくまで感情です。理屈ではありません。
 言い換えると、道徳感情に、進化論でいう適応的な根拠(生物種の形や行動パターンが、周囲の環境下で生きていくのに向いたものになっていると判断できる根拠)があったとしても、「絶対的に正しい、合理的」な根拠は、おそらくありません。
 おそらく、道徳感情に反する事例が発生したら、ヒトという生物は、群れでそれを情報としてシェアする必要を感じるようにできあがってきたのではないでしょうか。
 特定の共同体に所属するある個体(メンバー)が、他のメンバーの(あるいは共同体共有の)財物の所有を脅かしたり、共同体内で望ましいとされている家族像から逸脱するような行動をしたりすると、いちはやくそれを察知し、他のメンバーに警告(アラート)し、処遇を早急に決定しようとする――というような行動パターンを持った個体が、そうでない個体よりも、たまたま当時のヒトが置かれた環境に適応していたのではないか。
 つまり、思いっきり極論しちゃうと、僕らのご先祖は、自分が不利なあつかいを受ける可能性に敏感な(=心配性で僻みっぽい)人たちであって、呑気な人たちは子孫を残せず滅んじゃったんではないか。
 だから僕らのなかの動物的な部分も、心配性で僻みっぽくて、ほっとくと他人の瑕疵についつい気がついて大騒ぎしたがるのではないか、だから犯罪や著名人の醜聞がワイドショウの題材になるのではないか、と思うのです。
                                  (つづく)
 

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