ちくま新書

覚せい剤使用バッシング報道を前に、知っておくべきこと

9月新刊の松本俊彦『薬物依存症』(ちくま新書)の「はじめに」を公開いたします。報道や薬物乱用防止教育で広まった「薬物依存症」への誤解やステレオタイプなイメージを打ち破る本書。 「はじめに」だけ読んでも、気づくことが多くあります。ぜひお読みください。

†薬物依存症になりやすい人とは
 私は、薬物依存症の治療と研究を専門とする精神科医です。20年あまり前に薬物依存症治療の専門病院に勤務したのをきっかけに、以来、多くの薬物依存症患者と出会い、深
くかかわってきました。そして現在は、国立精神・神経医療研究センターで、薬物依存症
に関する調査・研究に従事するかたわら、薬物依存症治療のための専門外来を担当してい
ます。
 そのような専門家としての立場から見ると、一般の人たちは薬物依存症に関して多くの
誤解を抱いており、そのことが薬物依存症患者の社会復帰を妨げていると感じています。
なかでも、特に無用に人を不安にし、薬物依存症の当事者や家族を絶望させる誤解は、
「1回でも薬物を使ってしまうと依存症になってしまい、人生がおしまいになる」という
ものです。
 もちろん、1回でも覚せい剤を使ったことがある人と1回も使ったことがない人を比べ
れば、将来、覚せい剤依存症に罹患するリスクは前者の方がはるかに高いのは当然ですが、それはあくまでも統計学的な話です。現実には、「覚せい剤を使ったことがあるが自分には合わなかった。だから、もう一度使いたいとは思わない」という人や、「20年くらい前、若くてヤンチャしていた頃は、仲間と一緒に使っていた時期があったが、いまはまったくやりたいとか思わないし、後遺症みたいなものもない」という人は、現実には相当数存在するのです。そして、薬物依存症になった人のなかでも、立派に回復し、薬物なしの生活を送りながら社会に大きな貢献をし、活躍している人もたくさんいます。
 それでは、ここで1つ質問です。
 薬物に手を出した人のすべてが依存症になるわけではないのだとしたら、一体どのような人が依存症になりやすいのでしょうか。
 意外に思うかもしれませんが、人が薬物をくりかえし使うようになるのは、必ずしも薬
物によってもたらされる快感のせいとは限りません。アルコール(くわしくは本書第1章
で説明しますが、これも立派な薬物です)がそのよい例です。飲酒習慣を持つ人のなかで、「自分は、最初からアルコール飲料の味に強烈な快感を覚えた」という人はめずらしい部類に入ります。むしろ多くは、「飲み会の雰囲気が好き」「しらふのときよりもオープンな交流ができた気がする」「大人の仲間入りをした気がした」といった、人との「つながり」ができる感覚に好ましさを感じ、そうした親密な雰囲気のなかで飲酒経験をくりかえすなかで、時間をかけてアルコールの「おいしさ」に目覚め、あるいは学んでいくのではないでしょうか。
 覚せい剤のような違法薬物でも、本質的にはそれと同じです。つまり、人が薬物に手を
出すのもまた、多くの場合、「つながり」を得るためなのです。実際、薬物を使うことに
よってある集団から仲間として見なされたり、大切な人との絆が深まったり、あるいは、
薬物の効果によって一時的に緊張感や不安感がやわらぎ、ずっと悩んでいた劣等感が解消
された気になって、苦手な人づきあいが可能となったりします。その結果、その人は「つ
ながり」を手に入れるわけです。
 思うに、薬物使用が本人にもたらす最初の報酬とは、快感のような薬理学的効果ではな
く、関係性という社会的効果です。そして、忘れてはならないのは、違法な薬物を使って
でも人とつながりたいと願う人は、それほどまで強く、「自分にはどこにも居場所がな
い」「誰からも必要とされていない」という痛みを伴う感覚に苛まれ、あるいは、人との
「つながり」から孤立している可能性がある、ということです。
 とはいえ、薬物には依存性 ―― 人の脳と心を「ハイジャック」し、その人の物の考え方や感じ方を支配する性質 ―― があるのもまた事実です。そして、心に痛みを抱え、孤立している人ほど、薬物が持つ依存性に対して脆弱です。そのような人は、あっという間に薬物によって脳と心を「ハイジャック」され、気づくと、仲間に背を向け、大切な人を裏切ってでも薬物を使うようになってしまいます。もはや薬物は人とつながるためのツールではなくなり、むしろ「つながり」を破壊して人を遠ざけ、世間の騒々しさを遮蔽して、自分の殻に閉じこもるためのツールへと変化しています。
 これが、人が薬物依存症という病気に罹患していくプロセスなのです。
 私はかねてより、薬物依存症とは「孤立の病」であると考えてきました。つまり、孤立
している人が「つながり」を求めた結果、かえって孤立を深めてしまうという、実に皮肉
な病気です。もう少し高尚ないいまわしで、こういいかえてもよいでしょう ―― 曰く、
「痛みは人を孤立させ、孤立は薬物を吸い寄せる、そして、薬物はその人をますます孤立
させるのだ」と。
 ここまでいえば、先ほどの問いかけ ―― 「同じように薬物に手を染めながらも、なぜ一部の人だけが薬物依存症に罹患するのか」 ―― の答えは、おのずと明らかではないでしょうか。それは、その人が痛みを抱え、孤立しているからです。だからこそ私は、薬物依存症の回復支援においては、薬物という「物」を規制・管理・排除することではなく、痛みを抱え孤立した「人」を支援することに重点を置く必要があると信じています。