ちくま新書

明治維新と東京

1月の新刊、松山恵『都市空間の明治維新』の「はじめに」を公開いたします。江戸の町が首都「東京」になったとき、どんな変化が起こったのかに迫る本書。 「はじめに」では、本書のポイントとなる部分が端的に説明されています。ぜひお読み下さい!

本書でとりあげる時代
 最後に、本書が対象とする時期の問題についてもふれておこう。
 一般に明治維新といえば、1877年(明治10)の西南戦争までを一区切りに論じられることが多い。ただしここでは江戸- 東京のありようにしたがって、その波紋をもう少し長くとらえてみることにしたい。
 旧大名(大名華族)の東京定住をめぐるいきさつは、おそらくこの問題を考える具体例
としてわかりやすい。大名のほとんどは、開国の影響を受けるかたちでおこなわれた文久
2年(1862)の参勤交代制の緩和などをへて国許(くにもと)に帰国し、版籍奉還後もそこで知藩事などをつとめる一定の君主的存在だった。しかし、新政府は明治4年(1871)7月に廃藩置県を断行、彼らに代えて中央政府官僚の知事を配置して中央集権化を進めた。
 上記の過程についてはすでによく知られる一方で、それが東京の都市空間と密接にリンクしながらはじめて進むものだったことは、ほとんど忘却されている。詳細は本論にゆずるが、廃藩置県の直前に旧大名たちは東京への再上京と定住を命じられた。国許で一定の威光を放つ彼らをそこから引き離し、いわば目の届くところに置いておくことが、新政府の体制づくりにとってひとつの要件だったからである。
 旧大名に対するこの東京定住の制限が解かれる、つまり別の言い方をすると政府がみず
からの基盤形成に自信をもてたのは、それから約20年をへた1880年代後半(明治20年代初頭)になってからだった。ちなみにこれは明治憲法の公布(1889年)の時期に重なる。このときの大赦の対象に幕末に幕府方についたいわゆる佐幕派の旧大名なども入る一方、本書では直接扱わないものの、西南戦争で国賊とされた西郷隆盛の像が"浴衣着姿"というまるで政変終結を象徴するような出で立ちで、かつ戊辰戦争の一舞台でもあった東京上野の山に建つ計画が始動する(落合弘樹『敗者の日本史18 西南戦争と西郷隆盛』吉川弘文館)。
 少なくともそのころまでは、東京においては、あるいは場合によると(上記の国許に当
たる)旧地方城下町でも、明治維新はいまだ決着をみない時期だったといえるのではない
だろうか。その変動の足跡や傷跡は、いまだ鮮烈なかたちで都市のそこかしこに充満して
いた。
 以上のようなことを念頭に、本書では、種々の変革が急進した明治初年を重視しつつも、江戸- 東京における明治維新の直接の衝撃を1880年代後半(明治20年代初頭)まで
とみなし、そこまでの幅を持つ時期として維新期をとらえ、論を進めていくことにしたい。
 まずは第Ⅰ部で、明治維新の中核ともいえる政治的な変動、すなわち政権の担い手が幕
府から明治新政府へと転換する動きが、この江戸- 東京という歴史都市のあり方にどのよ
うなインパクトをもたらしたのかについて見てみよう。

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