昼食を準備することなく向かったので、1時半にはゲート前から離れる。
途中でスーパーに立ち寄って、あんこの入った甘いパンと夕食の食材を買って、車のなかでパンを食べる。――こういうときだから、毎日やっていることをちゃんとやらないといけない。金曜日の夜は母たちとご飯を食べる約束をしているから、私がみんなのご飯をつくらないといけない。ご飯の前には書評の原稿も書きはじめて、来週の頭には新聞社に送らないといけない。
3時過ぎに自宅に帰り着き、2時間だけと決めて仕事をする。書評を書きはじめたけれど言葉が浮かばず、本を読みかえしていたら結局5時半になってしまい、訪ねてきた母と母の連れ合いと一緒にご飯をつくる。6時には娘と夫が帰宅して、みんなでご飯を一緒に食べる。
夕方のニュースではやっぱり辺野古の海への土砂の投入が報道されていて、ご飯を食べながら、今日の辺野古の様子を少し話す。
娘はまた、「海に土をいれたら、魚はどうなった?」と聞きはじめ、どんなときにも子どもの問いに正直に答えようとする母も、「どうなったかね、魚たちは」と言いよどむ。夫が静かな声で、「みんな、まだ生きているよ。だから工事を止めないといけないね」と娘に話す。娘が「ケーサツは怖かった?」と私に聞くので、「今日はみんな優しかったよ。ケーサツのひとも、今日は静かだったよ」と報告する。
そう、今日の警察官はみな静かだった。いつもは立ち止まるだけで歩くように促され、従わないと背中をぐいぐい押される歩道でも、今日は何もされることはなかった。ゲート前で座り込んで聞く、いつもは制止されるスピーチも今日は一度もとめられなかった。そしてちょうどそのころ、沖合のあの青い海に、赤い土が落とされた。
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母たちが帰宅してお風呂に入り、9時ごろ、娘とふたりで寝室に行く。
娘は毎晩、眠る前に、「かわいいかわいい風花ちゃん」のお話をせがむ。「あるところに、かわいいかわいい風花ちゃんという女の子がいました」とお話のはじまりを告げると、保育園のお姉ちゃんたちに「あっちに行って」といじわるな言葉を言われて嫌だったことや、保育園のお迎えが遅くなったときにそばにいてくれた先生のことなど、娘はその日に起こった理不尽な出来事をお話にいれてと私にねだる。お話の最後に登場するのは王妃になった娘で、王妃は「年下の子に意地悪をしたらいけません」と保育園のお姉ちゃんたちを諭し、お迎えが来るまでそばにいてくれた先生に、「チョコレートをあげましょう」と褒美をさずける。そうしたお話を私から聞くことで、世界は何も壊れていないと安堵して、娘はそれから眠りに落ちていく。
今日もまた白い枕カバーに頰をつけた娘に、「あるところに、かわいいかわいい風花ちゃんという女の子がいました」と話し出すと、「風花は、アリエルね。お魚がお友だちで、海に土をいれる魔女をやっつけるっていう話ね。風花はしっぽがあって、海を泳ぐのが上手ってお話ね。魚とカメとどこまでも行くっていう長い長いお話ね」と言われる。
ねえ、風花。海のなかの王妃や姫君が、あの海にいる魚やカメを、どこか遠くに連れ出してくれたらいいのにね。赤く濁ったあの海を、もう一度青の王国にしてくれたらいいのにね。
でもね、風花。大人たちはみんな知っている。護岸に囲まれたあの海で、魚やサンゴはゆっくり死に絶えていくしかないことを。卵を孕んだウミガメが、擁壁に阻まれて砂浜にたどりつけずに海のなかを漂っていることを。私たちがなんど祈っても、どこからも王妃や姫君が現れてくれることはなかったことを。だから私たちはひととおり泣いたら、手にしているものはほんのわずかだと思い知らされるあの海に、何度もひとりで立たなくてはならないことを。そこには同じような思いのひとが今日もいて、もしかしたらそれはやっぱり、地上の王国であるのかもしれないことを。
だから、風花。風花もいつか、王国を探して遠くに行くよ。海の向こう、空の彼方、風花の王国がどこかにあるよ。光る海から来た輝くあなた、どこかでだれかが王妃の到着を待っているよ。