【季節・冬 分類・生活】
卒業論文提出す
傍題 卒論提出す 修論提出す 博論提出す 口頭試問 卒論発表会
卒業論文を書いてからすでに12年が経過しているが、卒論の話はできるだけ避けたい。大学にまだアレが残っているとすれば、すぐにでも燃やしたい。これは本気である。卒業してから先生に会いに行ったら、「あれは論文じゃなくてエッセイだったなぁ」と言われたし、なんならエッセイ以下である。しかし、この連載のネタが尽きているので、恥をしのんで卒論の話を書く。
私の卒論のタイトルは「芥川龍之介の俳句」。芥川が生前に発表した『澄江堂句集』は自選だそうだがかなりの厳選だったため、句集未収録の全句と照らしてなぜこの句集がこう編まれたかを、作品の型を分類しながら見ていくというものだった。参考文献は何冊か挙げたがほとんど読まず、ひたすら俳句一句一句について独自の見解を述べ続けた。原稿用紙100枚という規程だったので、一行20文字に一句(だいたい13文字くらい)を引用すれば行数めっちゃ稼げるじゃん! と思い、句を羅列しまくった。驚くべきスカスカ論文である。
さらに内容的にも本当にヤバい代物で、どれくらいヤバいかといえば、破調の作品(定型を基本として書かれた句のうちリズムの崩れているもの)について「自由律俳句」(もともと五七五を気にせず書かれたもの)と記述しており(驚くべきことに、当時は破調=自由律だと思っていた)、口頭試問の際その部分に赤ペンで線が引かれ「?」と書かれていた。なんと、私はそこで知ったのだ、破調と自由律が違うということを……。先生もあまり聞かないでいてくれて、一応いくつかの質問に対してむにゃむにゃと言っていたら終わった。
言い訳をするなら、私は3年生の後半〜4年生にかけて計4ヶ月鬱で大学を休んでおり、復帰後も拒食で10kg痩せたりなどしていたため、とりあえず生きて卒業することだけを目標に日々を過ごしていたのだった。よって、人生で完成させたすべてのものの中で、卒論の質が最も低い。でもそのヒドい卒論と同時にまとめていたのが第一句集『海藻標本』で、こちらは芥川のマネをして厳選にしたため、卒論と比べると随分完成度が高かった。どんなヒドい卒論であっても、書くことに意味はあるのである。芥川龍之介と指導教官の山田俊治先生には感謝してもしきれない。
「卒業」は春の季語だが、卒論の提出は12〜1月、口頭試問や卒論発表会は1〜2月のことが多いだろうから、こちらは冬の季語として別に立てるのがよいだろう。今年卒論を書き上げた皆さん、お疲れ様でした。これからの皆さん、まずは先達の研究を俯瞰することから始めましょう(どの口が言うか)。
〈例句〉
また来てゐる卒論提出まだの男 佐藤文香
口頭試問先生熱く語り出す