ソーンダーズの『十二月の十日』の温かい眼差し
斎藤:岸本さんの訳されたジョージ・ソーンダーズの短篇集『十二月の十日』(河出書房新社)にも、パクさんの作品と共通するものを感じました。
岸本:私も感じました。食い詰めた人たち、下流の人たちを書かせるとジョージ・ソーンダーズはほんとにうまいんですけれども、パクさんの『ダブル サイド B』の最後の4作も「食い詰め4部作」と呼びたいような作品群ですよね。それぞれに食い詰めていて、一番最後の「膝」に至っては、紀元前1万年くらい前の話なんだけど、やっぱり食い詰めてるんですよね。
ソーンダーズさんは、資本主義の歯車に押しつぶされて負けてはみ出しちゃった人たちをよく書いています。出てくる人たちみんな貧乏だし、学歴も低い、だいたい無職みたいな。それでまた、下流の人の家の中を書かせるとめちゃくちゃうまい。
斎藤:私もリアルだなと思った。小物とか、食べ物の散乱の描写とかすっごい上手ですよね。
岸本:そうそう、“下流インテリア”と呼んでるんですけど、空っぽの水槽の中に百科事典が一冊だけ入ってるとか、わからないけどわかるみたいな。でも、パク・ミンギュさんと同じで、そういう人たちに寄り添っているんですよね。温かい眼差しというか、最終的に優しいというか、そういう人たちに不幸になってほしくないという祈りみたいなものを感じます。ソーンダーズさんも歳のせいかだんだんそれが顕著に……。
斎藤:そう思います。『リンカーンとさまよえる霊魂たち』(河出書房新社)と同じ作家かな? ってちょっと思いました。
岸本:それ本人も、「昔は“下層の人がさらに失敗してダメになっておしまい”みたいな話が多かったんだけれども、何年も生きてきて自分も家庭を持つと、歯車に潰されることを書くだけというのはちょっと違うんじゃないか、歯車から溢れる現実も描かなきゃ嘘じゃないかと思うようになった」というようなことをインタビューでおっしゃってました。ちょっとセンチメンタルで、泣かせに入ってるよね? みたいな作品もあるけれども……。
斎藤:結構救いがありますよね。私、パク・ミンギュさんが『十二月の十日』を読んだらどうかなって思ったんですけど、ミンギュさんはソーンダーズは読んでないって言ってました。ソーンダーズは、韓国でも4〜5冊出てるんですけどね
ソーンダーズ作品の翻訳上の工夫
斎藤 ソーンダーズは変なセリフばかりで、漢字とか変えていろいろ工夫されてますよね。
岸本:そうなんです。特に困ったのが「わが騎士道、轟沈せり」という一篇です。ソーンダーズって、なぜかテーマパークものが好きなんですよ。これは中世が舞台のテーマパークに勤めている若者の話なんですけど、最初下っぱの豚小屋の掃除とかをやっていたのが、昇格して騎士の役をやらせてもらえることになる。騎士はアトラクションで小芝居をアドリブでするので、思考も言動も全部中世の騎士みたいになる薬を飲まされるんです。その薬が効いてきて、グラデーションでだんだん騎士の言葉になっていくところがね、難しかった。最初、中世の騎士の言葉は日本でいうと戦国時代かな? と思ったんですが、現代文を戦国時代の言葉に移す能力は私には全然なくて。
斎藤:たとえ専門家に監修してもらっても、小説の中で効果を上げるものになるかっていうと難しいんでしょうね。
岸本:そうなんです。国文学者の方に監修をお願いすることも考えましたが、それだとガチの古語になっちゃう。ためしに英語のネイティブの人に、原作はどの程度本物の古英語? って聞いてみたら、日本の時代劇みたいなもので、適当に現代の言葉を混ぜて読みやすくしているみたいで。イージーリスニング古語っていうか?
斎藤:お話の中で人物の言葉遣いが徐々に変わっていくのを翻訳するのは難しいですよね。
岸本:たぶん母国語の人なら大爆笑なんだろうなっていう所もけっこうありました。「わがタイムカードを千々に破られ」とか(笑)。結局、河出社内の時代小説を読むのが好きな人に監修してもらいました(笑)。
斎藤:それを漢字の使い方をおかしくしたりして、いろいろな工夫をしてらっしゃるでしょう。
岸本:「センプリカ・ガール日記」というその辺のおっさんが書き殴った日記とかね。
斎藤:そうそれおかしかった。一番長いやつですよね?
岸本:あれはその辺のおっさんが手書きで書き殴った日記という体裁なので、あんまり画数の多い漢字は使わず、しかも状況が切迫してくるにつれ易しい漢字もカタカナ表記にするなどしました。この人が日本人だったらって考えたら、たぶんパニックになったら悠長に漢字なんか書いてられないだろうから。
ソーンダーズって、すごいバカSFとか資本主義の狂った病理みたいなものを書くんですが、だいたいは最初から設定が狂っているんですよ。薬で人格を左右するテーマパークもしかり、「センプリカ・ガール日記」にはある非人間的な庭の飾りが出てくるんですけど、そういうものが当たり前に受け止められてる社会の話が多い。
斎藤:ライト・ディストピアですよね。
ソーンダーズ「子犬」
斎藤:ソーンダーズの「子犬」。これ、とても刺さったんです。子供に何をしてやれるかという。私はこれが一番ソーンダーズが変わったかもと思った作品だったんです。ソーンダーズは親子関係はどうだったんですか。
岸本:もうね、聞いててこちらが照れちゃうぐらいにめちゃくちゃ家族を愛してるんですよ。なのにこんな辛辣な話が書けるのが不思議ですけれど。この本全体に言えることですけれど、間違ったことをしているように見える人も、じつは全員ちゃんと愛があるんですよ。完全な悪は存在しない。「子犬」には2人の母親が出てくるんですけれども、1人はいわゆるプアホワイトで、ほっといたら道路に飛び出していっちゃうような息子がいる。薬を処方されてはいるんですが、飲むと副作用でひどく苦しんでしまう。
斎藤:いわゆる手のかかる子ども。
岸本:そう。で、考えた挙げ句、息子を犬の鎖みたいなもので木に繋ぐことにするんです。鎖の範囲は自由に歩き回れるので、母親的には名案を思いついたつもりなんですね。ところがその様子を、子犬をもらいにきたもう1人のお金持ちの母親が見つけて、正義感にかられて当局に通報してしまう。私はむしろこっちのリッチな母親の方が闇が深い気がするんですが。
斎藤:私もソーンダーズはそっちの方に非があるという書き方だと思いました。
岸本:でもやっぱりどっちも愛はあるんですね。あれは本当にしんどい話です。
斎藤:親の気持ちをわかっている書き手だなと思いました。子供というものの厄介さと、それを見届ける責任感を持ちきれない感じがすごくよく出ていて、本当に観察眼が鋭い人だなと。ソーンダーズにも抜け感があって、抜け感に作家の個性が出る気がします。
岸本:パク・ミンギュさんの方が抜けが綺麗な気がします。ソーンダーズはバカっぽさを出すために芸術性を平気で犠牲にするようなところがあるので。
斎藤:それはその作家の生きる社会全体の洗練と関係があると思います。パクさんの育った社会の方が、ソーンダーズの育った社会に比べて大変な時代だったと思うので。善悪がもう少しくっきりエッジが立っているんじゃないのかな。こじらせる前の段階っていうか。
作家たちが奔走するほど衝撃を与えたルシア・ベルリン作品
岸本:韓国の翻訳者は訳すのがすごく早くないですか?
斎藤:ものによりますよ。ルシア・ベルリンの作品集は、去年日韓ほとんど同時に出ましたね。日本ほどの大評判にはならなかったようですが、物書きの間で、ルシア・ベルリンが去年のベストだと言ってる人たちが何人かいて、例えば、『ヒョンナムオッパへ』というフェミニズム短編集に「火星の子」というすてきなSF風の短編を寄せているキム・ソンジュンも、ルシア・ベルリン、すごく良かったって言ってました。
岸本:ルシア・ベルリンは生きている間は無名だったんですが、作家の間では当時から「なんかすげー奴いるぞ」みたいな感じだったんですよね。
斎藤:ライターズライターですね。
岸本:まさに。だから2015年に復刊された今回の原書も、彼女の作品に衝撃を受けた作家たちが奔走して大きい出版社に話を持って行って出版にこぎつけたんです。
斎藤:アメリカの一般読者にも評判になったんでしょう?
岸本:生前とはうってかわって、出版と同時にベストセラーリストを席巻、みたいな感じでした。
斎藤:独特の刺さり方なんでしょうね。他の作家と違う角度で刺さるんだろうなと思って、それがなんなのか言語化ができないんですけど。