■フェティッシュな欲望について
―― ちょっと話が変わりますが、村田さんにとってフェティッシュな欲望はどう位置づけられているんでしょうか。最近出された絵本の『ぼくのポーポが恋をした』のぬいぐるみ愛や『タダイマトビラ』のカーテン愛など、さまざまなフェティッシュのかたちを書かれてきたと思いますが、物への愛はセクシュアリティ的にはどのようなものなんでしょう。
村田 子どもの頃から、すべての人間が怖かったので、安心して愛情を注げるものとしてぬいぐるみや毛布、または小説や漫画、アニメーションなどの中に生きている架空の人物があったんです。それらに愛情を注ぐと愛情が返ってくるんですね。ぬいぐるみを大切に愛して暮らしていらっしゃる新井素子さんとお話ししたときも、喋るぬいぐるみと喋らないぬいぐるみがいるとおっしゃっていて、たしかにそうなんです。同じように、例えばアニメーションの人物なんかとも会話をするんですけど、現実の人間との会話とは違う質のもので、セクシュアルな感覚に至ることはあまりなく、ぬいぐるみや虚構の人物が好きというのは自分のなかでシェルターであると同時に外の世界に連れ出すという両義的な意味を持っているのだと思います。それがわたしにとってのフェティッシュの意味なのかなと思います。
李 アニメのキャラに話しかけて返事が返ってくるんですか?
村田 そうなんです。ただ、たとえば小学校のころ兄の部屋にあったのを借りて読んで、アニメーションも好きだった『シティハンター』の冴羽さんだったら、最初に「ぼくは本当の冴羽獠ではないんだよ。あくまで君の作り上げた冴羽獠であって漫画の中から出てきた本物ではないんだけど、いいかい?」と言ってくれて、わたしは「わかっています。冴羽さんありがとう」と言って会話が始まるんです。どのキャラクターとも最初にそういうやりとりはあります。
李 「かぜのこいびと」も女の子が自分の部屋のカーテンを好きになるという話で、動物性愛者とか死体愛好者とかさまざまなセクシュアリティをわたしたちは知っているような気になっているけど、まさかカーテンに恋をするなんて、という驚きがありました。でも、子どもの頃から人間が怖くて、物や虚構を好きになったというのはなるほどと思いました。
村田 カーテンは怖い人間から守ってくれるし、それに恋するのはごく自然だろうと思って書いてしまいました(笑)。
李 しかもそれをカーテンの視点で書いているのがすごいなと思いました。村田さんのそういう資質は、わたしにはぜんぜんないものなので、村田さんの目から見た世界はきっとすごく面白いんですよね。
村田 変な設定ばかりなんですけど、なるべくリアリズムで書きたいと踏ん張っていつも書いているんです。でも、不思議なことに、みんな小説に書かれていることを本当のことと思うんですよね。『コンビニ人間』もぜんぶわたし自身のことを書いていると思われて、芥川賞受賞後もコンビニのバイトをしていたら、昔から知っているお客さんに「子どもの頃、死んだ小鳥を焼き鳥にしようとしたんだ、すごいねえ」と言われてどう返事をしていいか悩みました(笑)。古倉さんはわたしと似てないと思いますし、たまに似ている部分もあるかな、と感じることがあっても、それは深い部分の、精神の核心みたいな場所の話で、エピソードは架空なんです。
李 わたしもデビュー作の『独り舞』は主人公はあなたなんですかとよく訊かれました。名前も違うのに、どうして同じだと思うのでしょうか(笑)。
村田 わたしの話であるとかないとかは作品にとって関係がないと思っているのですが、よく訊かれるのは不思議です。
新型コロナウイルス禍の影響を受けて中止となった3月6日、日本橋・誠品書店での李琴峰さんと村田沙耶香さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』刊行記念対談。場所をオンラインに移し、「こういうひとが真摯に描かれている小説をずっと読みたかった」と言う村田さんの『ポラリス』感想から、「どれも突拍子もないアイデアが秀逸」という李さんの村田作品への賛辞、そしてお互いの書法からマイノリティへの思いまで、たっぷりお話しいただきました!