米司令官が語っていた「ブースター落下」の危険
3カ月半後の18年9月中旬、石塚は東欧出張に旅立った。行き先は、世界で唯一、イージス・アショアが配備されているルーマニアと、建設が進むポーランド。この2基で欧州全体をカバーするという。防護面積は、日本に同じく2基を置いた場合の10倍以上になる。
「地球上に先行配備地があるなら見に行くしかないだろう」という考えは、泉が早くから口にしていた。石塚も同感だったが、不安も大きかった。
地方紙には海外取材拠点はもちろん、海外取材の機会すらほとんどない。視察の同行取材程度のことはあっても、独自にニュースを追って取材先と交渉し、日程を組んで海外へ飛ぶことなど、めったにない。このあたりの事情は、同じく地方紙の記者だった私もよくわかる。
「まずどこに連絡すればいいのか、というところからでした」と石塚は言う。最初の手掛かりは、Facebookで見つけた「イージス・アショア・ルーマニア」のアカウントだった。英語に堪能な後輩記者にメッセージを送ってもらうと、イタリアに駐留する米海軍の広報担当者に依頼してくれとアドレスが送られてきた。再び後輩記者が取材依頼メールを送り、2カ月ほど待った頃、ようやく返信があった。「今、ルーマニアのデベセル基地と調整している。今のところ、早くて5月末」──。しかし、そこから日程調整が難航し、結局9月にずれ込んだのだった。通訳の手配や現地の村役場取材など、すべてが固まるまで、最初のメール送信から半年余りかかった。
ポーランドの取材は幸運にも、足下から広がった。同国出身で、日本人女性と結婚して秋田県内に住むマイケル・タベルスキ氏に協力を依頼すると、快く引き受けてくれたのだ。ソーセージやハムの製造販売を手掛ける経営者のタベルスキ氏に、地元の「政治」が絡む取材への協力を依頼するのは気が引ける面もあった。しかし、彼は「困ってる時、みなさんの役に立つことが、私が秋田に来た意味になる」と石塚に告げたという。
10日間に及んだ東欧取材から戻るとすぐ、石塚は記事執筆に取りかかった。『配備地を歩く ルポ東欧の地上イージス』と題した全12回の連載は、手探りの不安な旅だったとはとても思えないほど、多方面に取材を尽くし、緊張感と臨場感にあふれている。 たとえば第1回、ルーマニアの人里離れた村から広大なデベセル基地を望み、初めてイージス・アショアを目にした光景は、こんなふうに描写される。
〈国道54号を南下し、村に近づくと、東方に角張った灰色の建築物が地平線にぼんやりと頭を出していた。車を止め、望遠レンズを付けたカメラでのぞいてみる。船体の上部を切り出したような金属質の壁面。現在、世界で唯一、実戦配備されている地上イージスだ〉
石塚によれば、「肉眼で見ると、はるかかなたに小指の先ぐらいの突起が認識できる程度」だった。紙面には、450mmの望遠レンズでとらえた写真が掲載された。
そこへたどり着くには、三つの関門がある。まず約9平方kmに及ぶルーマニア軍基地、その中に米軍基地があり、さらにその中にイージス・アショア基地があるという配置になっているのだ。カメラとICレコーダーは禁止され、ノートとペンだけを持って基地の最深部であるデッキハウスに着くと、米軍司令官が言った。「ここが基地の中の、基地の中の、基地だ」。住宅街にむき出しで隣接する新屋とは、あまりにも環境が異なっていた。 石塚は報道関係者として初めてオペレーション室の内部へ足を踏み入れ、インタビューを行った。司令官は基地の機能と、ミサイルの誘爆やレーダーの電波などのリスクを説明する中で、ミサイル発射時のブースター落下にも言及した。

「統計に基づく落下予測はあるが、100%想定の範囲内に収まるとは言えない。最も確実な安全策は、基地の周りに住宅を造らないことだ」
日本政府がイージス・アショアの配備を断念する直接原因となったリスクを、石塚はこの時点で、当該施設の司令官から引き出していたわけだ。
連載には基地周辺の地域も描かれた。デベセル村では、攻撃やテロの標的となるリスクよりも、雇用とインフラ整備をもたらすメリットが重視されていた。ポーランドのレジコボ基地に近い町では逆に、配備に伴う建築制限で経済損失が生じると試算されていたが、計画が長期化し、住民の関心は薄れていた。反対運動を続ける市民団体の代表は、「メディアが配備を批判的に報じない」と嘆いた。
新屋の空撮写真を見せると、賛成派であれ、反対派であれ、一様に驚かれた。「こんなに住宅地に近いのか。あり得ない」──。
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年が明けて2019年、松川や石塚を中心に長期連載がスタートする。「住民目線」に徹して積み上げた報道の先に、防衛省と日本政府、そして世論を震撼させるスクープが生まれることになる。