■男性が男性身体について書く必要性
大前 最初の話に戻りますけど、小説にせよマンガにせよ、基本的に、男性、というか男性の身体が歳をとっていくことをちゃんと書いているコンテンツって少ないですよね。
坂上 最初はそんなに意識してなかったんですけど、実際に書き出したら、竹村の身体感覚の変化を記述することには重要な意味があると思うようになりました。この小説では毛に関する描写がやたらと出てきますが、それはぼくにとって体毛というのが身体の変化を一番如実に表しているものだからなんです。たとえば朝食をとっている時、不意に箸を手にとってみたら、予想もしてなかったところに毛が生え始めていることに気付いて驚かされたりする。身体の変化って、じわじわと感じていく場合もありますが、ある日唐突に別の段階に移行したんだなって思わされることも多いはずなんです。その辺りの身体感覚を小説の中に取り込みたいということは考えていました。
次の小説がそうなるかはわかりませんが、やっぱりいま男性が男性について書く必要は感じています。それこそインターネット上でジェンダーについてなされている議論を見ると、女性から見た男性についての話は、納得できるものも多い一方で、男性を抑圧しすぎているのではないかと感じることも多い。ぼくとしては、もう少し男性が語る男性性に注目したり、ポジティヴな面を拾っていった方が、最終的にはいいバランスになると思っているんです。そもそも女と男の二分法で対立すること自体あまりよくないはずですが、それ以前に今は生産的に対話をする土壌自体が作られていないように見えてしまいます。
大前 坂上さんは身体感覚をビビッドに書かれていると思うんです。自分を顧みると、そういう身体感覚が稀薄だなと思っていて、「男性」は身体への意識が薄いのではないかという気がするので、自分の身体を点検するような感じでそこを書いていけたらと考えています。
坂上 大前さんの小説は『ぬいぐるみ』のほうがむしろ例外的で、短編ではほとんどパーソナルな要素は出してないですよね。
大前 そうですね。
坂上 ぼくは大前さんについて、割と奇想を中心としたイマジネーションの広がりで小説を書く人だと勝手に思っていたので、『ぬいぐるみ』のようにリアルな現実を背景に実存的な作品を書かれたことは意外でした。
大前 やっぱり短編と中編は書き方がぜんぜん違いますね。短編はアイデアひとつあれば書けますけど、中編はもっと大きな構成がないといけなくて、小説が生活に侵入してくるようで書きづらかったんです。結局、生活に侵入してくる感じをそのまま書こうとなって、心理の動きをある種の因果で転がすようなイメージで書いたんです。
坂上 『ファルセット』と『ぬいぐるみ』では、どちらも「かわいい」という言葉が重要になっていると思うんです。「美人」や「イケメン」はかなり強い言葉で、そう言われるのはハードルが高いし、明らかにジェンダーを固定しますよね。でも「かわいい」は男女どちらでも通じるし、適用範囲が広くて、比較的軽い気持ちで言える。その言葉を作品の中核に置くことで、やわらかさや多様性を確保できるんじゃないかということは今も考えています。
大前 「かわいい」は多義的に使えるので、発する側も受け取る側も自分にとって都合のいいようにうまく調節ができる。そのへんのフットワークの軽さがいいと思います。
坂上 「かわいい」もそうですが、この先もぼくはなにか世の中に固定的に存在しているかのような概念をズラしていくことを主眼として書いていくと思います。境界をあいまいにしたり、価値を点灯させたりするというのは、ジャンルやテーマを変えても、自分の作品では変わらない部分なのかなと。
大前 ただ、どんな言葉もですが、いい面と同時に危うい面も持っている。その危うさを見つめ続けるような小説を今後も書いていきたいですね。
(8月7日、オンラインにて収録)