ちくまプリマー新書

差別を考えるとはどういうことか
『他者を感じる社会学』第一章より

他者を理解したい、つながりたいと思ったときに必然的に生じる摩擦熱、これが差別の正体だ。差別を考えることは、社会を考えること。「差別はいけない」と断じて終えるのでなく、その内実をつぶさに見つめてみたい。

戦争は最大の差別

こう考え書いてきて、かつてほとんどの日本人が差別主義的な愛国の想いや行為に駆り立てられた歴史を生きたという事実を思い出します。さまざまな差別に対抗し異議申し立てをする多くの解放運動のなかに、「戦争は最大の差別だ」という言葉があります。「鬼畜米英」。戦争映画や戦争時代を描いたドラマで必ず語られ、目にする、お決まりのスローガンです。闘っていた相手であるアメリカやイギリスの兵士は「鬼」であり「畜生」であって、「人間」ではなかったのです。自分たちと同じ「人間」ではなく、人でなしだと。鬼や畜生という言葉には、それを恐怖するという意味も含まれていますが、人でないのだから平気で抹殺してもいいという意味が詰まっていました。当時の日本人はこの意味が満ちた言葉を連呼し、日本の闘いを正当化していました。

もちろん、こうした差別主義的見方や営みは日本だけではありません。「ジャップ」「イエローモンキー」などアメリカでも日本兵を見下し、嘲笑う言葉が生きていました。日本人は「人間」以下のサルだと。日本もアメリカやイギリスもともに、互いの国家の利益を正当化する行為としての戦争を遂行するうえで、闘う相手が、自分と同じ「人間」ではない、という強引な理屈が必要だったのです。相手は「人間」ではないのだから、殺してもいいのだという“殺しの思想”はまさに差別主義的なものの見方に支えられていました。

別な言い方をすれば、自分とは異質な他者と殺し合うまでの対立にいたってしまった時、差別主義的な見方や考え方には途方もないエネルギーが注入され、それはもっとも活き活きとした“輝き”を放っていたとも言えるでしょう。

私は広島・長崎の被爆問題も研究していますが、たとえば森滝市郎(一九〇一~九四)という人物がいました。彼は、戦後、広島の被爆者運動や原水爆禁止運動という平和運動を推進してきた著名な活動家でした。生前彼は、原水爆の実験があれば必ず翌日に広島平和記念公園の慰霊碑前で座り込み、核実験に対して無言の抗議を続け、核廃絶を主張しました。

森滝は、一九四五年八月六日に、広島高等師範学校教員として被爆し重傷を負います。長い間生死の境を彷徨い、病床に臥せっているあいだに、彼は教員として愛国主義的な思想を教え、学生を兵士として戦争へ積極的に送り込んできた戦時中の自分の思想や実践を心底から反省し、これから自分に何ができるかを考え、反原水爆の思想をうみだしていきました。

反原水爆、反戦平和をめぐる森滝の思想や実践は、素晴らしいものです。ただ彼ほどの人物でさえ、戦争中は差別主義的見方が放つとんでもない“輝き”に眼も心も眩まされ、自分自身の好戦的な考えや実践が見えていませんでした。

太平洋戦争という事実がどのように当時の人々の暮らしや生に「歪み」を与えていたのかは、社会学にとってこれからも探求すべき重要な課題です。さて脱線から戻ることにします。

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