会ったこともない人の人生と記憶も一緒に生きている
柴田:最後にもう一つ聞いていいですか? この『百年と一日』には戦争のことが何度か出てきますよね。そこもテーマとして気になるところではあるんですけど。
柴崎:はい。実は、単行本になるときに書き下ろした話がいくつかあって、そのなかの2つは長めの話で、ひとつがさっき朗読した解体した建物の話で、もうひとつは、戦争中に一緒に暮らしてた親戚の女が一度家に帰ったんだけど、内戦が始まって離れ離れになったという話(※タイトル「戦争が始まった報せをラジオで知った女のところに、親戚の女と子どもが避難してきていっしょに暮らし、 戦争が終わって街へ帰っていき、内戦が始まった」)。2つとも戦争の話なんですけど、それは意図的というか、何か他に話を書こうと思ったときに浮かんできたのが戦争のことだったんです。『百年と一日』という単行本のタイトルも本にするとき新しくつけたんですけど、この百年ということを考えたら、やっぱりどの場所も絶対戦争に関わってくるんですよね。
柴田:何十年か考えればそうですよね。
柴崎:どの場所もいつかは戦争に関わってるし、どんな人の人生も、直接の戦争体験や戦争中の時間に生きたわけではないとしても、お母さん、おばあちゃんと遡っていけば、絶対どこかで関係しているので。それが実は、普段意識しているよりもすごくいろんな人の人生に関わってると思うんですよね。戦争中に起きたいろんな事情で人生が左右されたり、その町の歴史が変わってしまったり。この10年ぐらいで書いてきた小説では、そういうことをいつも考えながら書いていたので、今回もそのことを入れたいなと思いました。
柴田:その戦争を、例えば太平洋戦争とかベトナム戦争とか、具体的な名前は与えずに書かれていますよね。それはやっぱり、いつでもどこでも起きている、ほとんど普遍的なものだからということですか?
柴崎:そうですね。いろんな小説を読んだり映画を観たりしても、あらゆるところで戦争が起きているし、経験した人がこれだけいるんだなっていうことはすごく実感しているので、その中の誰かにあり得た話というふうに書きたいと思いました。
柴田:なるほど。では、今後の展望といいますか、次はどの辺に行きそうだという予感はありますか?
柴崎:今は、『百年と一日』とはまったく違うタイプの長編を書いています。でも今回、本を出すまでは読んだ人に「ちょっと、これ何?」って思われるかなとか本当に心配してたんですけど、嬉しいことにいろんな人が面白く読んでくださって。
柴田:いやぁ、これはもうブレイクスルーだと思いますよ。
柴崎:それで、「自分でも忘れてたこんなこと思い出した」っていう話を、直接会った人も言ってくださるし、ブログとかSNSに書いてくださる方もいて。何より面白いなと思うのは、そこでみなさんが思い出すのが、一見、私の書いた話とは全然関係のない話だったりすることが多いこと。
柴田:それを集めたらけっこう面白そうですね。一種の、特殊なスピンオフだな。
柴崎:そうそう、そういうのを作りたいと思いたくなるぐらいです。私が書いた話の続きが、読んだ人の中でそういう形で出てくるのは、とても面白いなと。
柴田:それはすごく幸福な、素晴らしいことですね。
柴崎:やっぱり私は、場所とか生きている人の中に、過去や自分じゃない誰か、それは直接知り合った人だけじゃなくて、全然会ったこともない人の人生と記憶も一緒に生きてるんだと思うんです。そして、本を読むということも、読んだあとに本の中の誰かの人生と一緒に生きていくということだと思うので、そういう感覚を小説でどうやったら表現できるかということを考えながら、これからも書きつづけていきたいです。
柴田:これからも楽しみにしております。
柴崎:どうもありがとうございました。
(2020年10月11日本屋B&Bよりオンライン配信/構成:小林英治)