筑摩選書

盆踊りの変遷から見えてくるもの

敗戦、高度経済成長、ニュータウンの造成、バブル、地域の高齢化・過疎化、東日本大震災、コロナ禍… 大石始『盆踊りの戦後史』(筑摩選書)を読むと、そんな戦後日本社会やコミュニティの変遷が見えてきます。 コロナ禍によりほとんど盆踊りが開催されなかった2020年の最後に刊行さる本書が問いかけるものとは? まずは「はじめに」をお読みください。

 そもそも盆踊りとは何か。
 源流のひとつとして考えられているのが、時宗の開祖である一遍上人(1239~89年)が各地に布教した踊り念仏だ。これは鉢や鉦(かね)を手に踊り跳ねながら念仏を唱えるというもので、そうすることで解脱と法悦の境地に入るという宗教行為の一種である。
 踊り念仏は踊りの側面を強めるなかで、庶民の娯楽となり、芸能化を進めていく。踊り念仏から念仏踊り、そして風流踊りへ。そうした変化のプロセスのなかで各地域の芸能や風習、伝統行事、お座敷の文化などと習合し、各地域固有の踊り文化が形成されてきた。現在盆踊りとされているものは、そうした踊り文化のひとつとして形作られてきたといえる。そのため、盆踊りとひとことで言ってもそのスタイルは各地域によって異なる。
 古代から行われていたとされる歌垣の風習を盆踊りのルーツとすることもある。これは男女が特定の場所に集まり、求愛歌を即興的に掛け合うというもので、「古事記」や「万葉集」でもその場面が描かれている。この歌垣は、やがて集団で大地を踏み鳴らして歌い踊る踏歌とも結びついていく。
 また、盆踊りはお盆に行われる祖霊信仰の行事という一面も持つ。お盆は仏教における伝統行事というイメージが強いが、仏教伝来以前から行われていた先祖祭祀が根底にある。それが仏教という外来文化と結びつくことによって、現在も行われているお盆となったのだ。このことも盆踊りのルーツを考える上で、重要である。

 そうした伝統的な盆踊りのあり方は、レコードなどの複製メディアやラジオなどの放送メディアが浸透した昭和以降、大きく変容していく。本書で軸足を置くのは、戦後になって各地で立ち上げられた地域のレクリエーション的盆踊りである。ただし、数百年の歴史を持つとされる盆踊りが戦後になって地域振興イヴェント化した場合もあり、「伝統的/非伝統的」のあいだに単純に線を引くことはできない。そのため、本書ではたびたび「伝統的」とされる盆踊りも扱われる。
 また、盆踊りは地方によって様式や歴史的背景が異なり、決して全国各地の盆踊り文化を網羅することが本書の目的ではないことは最初に記しておきたい。

 僕は2015年に『ニッポン大音頭時代──「東京音頭」から始まる流行音楽のかたち』(河出書房新社)という本を書いた。この本は1933年に発表された「東京音頭」以降、音頭というひとつの音楽形態がどのように発展してきたのか、盆踊りの場でかかってきたさまざまな音頭に焦点をあてながら考えたものだった。そこでは土地の歴史と結びついた伝統的な民謡でなく、歌謡曲やアニソン、アイドルソング、コミックソングと融合した新作音頭に重心を置いたが、本書で見つめるのは、そうした新作音頭が鳴り響く盆踊りの場そのものであり、その場を作ってきたコミュニティーの変遷だ。
 本書で僕は、幼少期に体験したあのからっぽなダンスフロアのことを思い出しながら、戦後の盆踊りが担ってきた役割について考えてみたいと思っている。戦後の日本はなぜあのダンスフロアを生み出し、現在も必要としているのだろうか? そこにはアフター・コロナの時代を生き抜くためのヒントが隠されているのかもしれない。

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