▼近現代の「通史」は盲点
山岡 振り返ってみると平成の30年っていうのは、バブル崩壊から始まって、その衝撃がずっと残り続けて、それでバブルの精算をやろうやろうとしたんだけども、結局、政界も経済界もやり遂げられないまま走ってきたら、大災害が連発される。元号は令和に変わりましたが、コロナもそういう災害のようなものかなと私は思っています。
海堂 政治を見ると、平成で大きな変化といえば、橋本龍太郎内閣の官僚機構改革、そのあと小泉純一郎内閣で構造改革をして、結果的に新自由主義を導入することで、アメリカに貢いだという流れがありました。それに続くものとして、奇妙な無力状態、「安倍→菅」政権みたいな現在地にいるのだと考えられます。
山岡 省庁再編というのが一つのきっかけになって、霞ヶ関ががらっと変わってくる。そういう動きを総括して書きたいなと思っています。
海堂 面白そうですね。『ドキュメント感染症利権』でも、戦前と戦後で看板を付け替えただけで戦前体制を引きずっている省庁として厚生省と経産省のことが書かれていて興味深かったです。経済と法律は僕の苦手分野なんで、大変勉強になりました。
この本を医者が今読むべきだと僕が思うのは、こういう近代の通史でなかなかしっかりしたものがないからなんです。そう考えていくと、僕は明治、大正という時代をきちんと書かなきゃいけないなと今思っています。
山岡 なるほど。
海堂 意外にないんですよ。明治維新を扱う本はたくさんありますが、守備範囲としてはせいぜい西南戦争まで。でも、その後の明治、大正が、今の日本の土台となる制度を作ったと思っています。
山岡 私も『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社文庫)を書くときに色々調べましたが、今あるこの生活を利するものっていうのは明治後半から大正時代に出ている。テレビこそなかったものの、通信も始まった、車だとか鉄道とかの移動手段もそうです。しかもあの時代、個人が個人としてどう生きるかというところに、日本が目覚めた時代ですよね。そういう揺れ動きのある面白い時代だったなと。
海堂 僕は昭和、平成と比すと、明治、大正も、戦後みたいな明治維新から高度成長を遂げていくところが似ていると感じています。そのアナロジーで書けたら面白いかも、とぼーっと考えています。
山岡 その時代を書くときも医療の視点は当然入ってきますか?
海堂 まず医療の視点を書いて、それから経済とか政治とかも書けるといいな、とは思っていますが、いつも構想は壮大でしてね(笑)。
山岡 いやいや、楽しみです。
▼監視し、記憶していくこと
海堂 明治、大正を書かなきゃいけないと思ったのは、まさにコロナを書いたからです。書き終えたあとで、この期間、2019年末から2020年5月のちょうど半年くらいの歴史が現在進行形で失われているんじゃないかという焦りを感じていまして。たった半年なのに、「そんなこともあったよな」みたいに、すごい勢いで忘れ去られていませんか。
山岡 一つ起きたら内閣吹っ飛んでもおかしくないようなことがあまりにもたくさん次々と出てきて、記憶がどんどんどんどん上書きされていってしまっている。
海堂 そうなんですよ。読者の人たちがそういうふうに読んでいるだけではなくて、僕自身も、何かもう1年とか2年ぐらい前の話書いたんじゃないかと感じてしまうのです。こうやって重要なところが落ちていって、それを前提にものごとが作り直されていくっていうのはすごい危ないな、と恐怖を感じました。
だからこそ、この『ドキュメント感染症利権』も、山岡さんが書かれなければ、まさに断片的な出来事が下手したら失われたかもしれないと思って、必要な本だと思うわけです。感染症の歴史はあるにせよ、そういう本はぶつ切りで、ペストが出た、コレラが出た、コッホが結核菌を発見した、という歴史は書いてあっても、ストーリーになっていない。でも人が理解するときにはストーリーが必要なので、だからこそこの通史で読める本書は、医者が読まなければいけないものだと思っているんです。
山岡 私もぜひお医者さんには読んでもらいたいなと思うのは、利権の中に入っていると、それが利権って気がつかないじゃないですか。利権のためと思ってやっていなくとも、気がついたら加担しているかもしれない。そういう気づきを得てくれたら、と思いましたね。
海堂 本の中でも、731部隊の構造と、それからアメリカのバイ・ドール法で特許を得ようとしている研究者とが同じ構図だということを示してくれましたね。類似構造をこうやって提示されないと、個々の事象だけ知っていても、問題の理解はできないですから。
山岡 研究者や医師を動かしたのが「(上からの)命令」「探求心」「利得」というね。731部隊を駆り立てたのもこの三つ。普遍的に、お医者さんの世界には通底しているのではないかと思うんです。
海堂 純粋な探求心や競争、それによって手に入る利得が、人の命を救うことにつながる研究であると同時に、毒性の悪用という一面もはらんでいるということですね。アメリカのウイルス研究とバイオテロについての章でも、その両義性は繰り返されていて、腑に落ちました。
山岡 そこなんですよ、お医者さんに訴えたいことは。
海堂 医者に限らず、企業で競争したり、医学者が研究競争するというときにはあってもいいモチベーションだと思いますが、外から俯瞰する通史の視点が重要なのです。それを支えるのが教養だと思うのですが、残念ながら日本で今一番失われているものです。なにしろ、国会の答弁で総理大臣が鬼滅の刃ごっこをやっていましたから。ここは小学校の学級会かと思いました。
山岡 あれはのけぞりましたね。
海堂 それをメディアがうれしそうに報じていました。かりにショーペンハウエルやニーチェ、あるいはディズレーリや吉田茂、その言葉を応酬したあとで、ぽろっとあれが出たならばアクセントになって、ああ菅さんもやるねえ、となるでしょうが……。
山岡 いきなりでしたからね。
海堂 この人は鬼滅しか読んでないんだ、というね(笑)。衝撃でしたね。
本当にいろいろありますけど、そんな中でもこの本を読めてよかったと思うのは、いろいろもやもやしていたところがすっきりしたからです。
山岡 そう言っていただけると著者冥利に尽きます。
海堂 だから繰り返しますが、医者には読んでもらいたいし、特に若い医学生は必読の書です。
(対談収録日 2020年11月14日)
海堂尊【書評】
医学と感染症の狭間に生まれた「利権」を追う必読の書
コロナで後手を打つ無教養政権への痛撃 @Kodansha Bluebacks