彼女たちの戦争

第13回:エミリー・ディキンソン

PR誌「ちくま」の2020年の表紙を飾り、多くの反響を呼び起こした「彼女たちの戦争」が、場所をwebに移して新たにお目見えします。歴史のなかで、女性であるがゆえに脇に押しやられながら、その才能をたしかに輝かせた女性たちの闘いの軌跡。
ダゲレオタイプによるポートレート 1846-1847年、ニューイングランド

 

 ひとり部屋に籠もり、ひたすら詩を書き記した、エミリー・ディキンソン。その生前、発表することができた詩はたったの10篇。しかも匿名で。だれから認められることも、評価されることもさえなかった彼女は、それでも千数百篇もの詩を書き残していた。

 アメリカ、マサチューセッツ州、ボストンから西に約120キロのアマスト。
 ピューリタニズムが根強く残る小さな町で、彼女は育った。
 十七歳で学校を退学した頃から家に籠りがちになり、三十歳になる頃からは、友人や知人とさえ会おうとしなくなったという。その詩を、批評家に送ったこともあったが、それが詩集として出版されることはなかった。
 享年五十五歳。その死後、妹のラヴィニアが、整理箪笥に残した彼女の膨大な詩を見つけ、出版へこぎつけた。そうして、はじめてその詩が、この世に出ることになる。

 私はもう十年ほども前になるが、いちどだけその小さな町とかつて彼女が生きた家を訪れたことがある。
 寒い雪の日で、煉瓦造りの街並みが、美しくも、重々しくも見えた。
 その家はミュージアムになっていたが、私が訪れた時には休館中で中へ入ることが叶わなかった。緑色の板戸が嵌められた窓の向こう。たったひとり詩を書き、戦い続けた彼女の部屋は、見えなかった。
 降りしきりる雪の中、あたりはどこまでもしんと静まりかえっていた。

 やがて私が彼女の詩集を繰り返し開くことになったのは、産後の体調不良が酷く、部屋の中に篭りきりになっていた日々のことだった。
 彼女の詩を読むと、どれほど狭い場所に閉じ込められていようとも、私たちはどこまででも遠くへ行けるのだ、ということをはっきりと信じられた。そして、私は、私たちは、決してひとりぼっちではない、ということを。
 窓の向こうを見ようとするたびに、そこは彼女の部屋に、それぞれひとりひとりの心に、繋がっているのかもしれないと、いまは、そう思える。

「希望」それは羽根を持つもの
魂に宿るもの
言葉なしに歌を歌い
決してやめない 絶対に

(引用参考文献:対訳『ディキンソン詩集』亀井俊介編 岩波文庫 詩の訳出kvina)