一度目は現場の記者たちが「自分は本日、こういう原稿を書いて出したい」という出稿計画をキャップまたはデスクに提出する時だ。この段階では、どのような事実を記事化し、どのような事実を記事化しないかは、究極的には記者一人一人の判断にかかっている。
二度目は現場の記者から出稿計画を受け取った編集局各部のデスクが、部としての出稿計画を取りまとめる時である。この段階では、その日の当番デスクがどのような事実をニュースとして報じるかを決める。各部の責任者である部長(政治部長、社会部長、外信部長など)がデスクに指示する場合もある。
三度目は編集会議の場である。各部のデスクが持ち寄ったニュースについて会議出席者たちが議論し、何を一面トップにするか、一面の二番手の記事はどれにするか、といったことを決めていく。通常はその日の朝刊編集責任者である編集局次長が決定するが、重大なニュースがある時には最高責任者の編集局長が乗り出してくることもある。
この三つの段階で、数ある事実の中から何をニュースとして伝えるのかを決める際の基準は、現場の記者と編集者(デスク、部長、編集局次長、編集局長)の「ニュース感覚」である。新聞社には、何をニュースとするかについての基準文書やマニュアルは存在せず、ニュースの取捨選択は基本的に、編集局で働く人間たちの「ニュース感覚」で決まっている。数百万の発行部数を誇る巨大な全国紙であろうと、地方の小さな新聞社であろうと、業界紙や専門誌であろうと事情は変わらない。もっと言えば、少なくとも言論・報道の自由が保障されている国々の新聞社であれば、外国の新聞社であっても事情は同じだろう。
人間の「ニュース感覚」を基準にニュースの取捨選択が行われていることについて、長野県の地元紙である信濃毎日新聞社の編集局長を務めた猪股征一氏は、著書『増補 実践的 新聞ジャーナリズム入門』の中で次のように記している。
新聞のニュース面にどのような記事を盛り込むか、1面をどう作りどの順に記事を配置するか、つまり幾多の記事がある中で、ニュースとしてどれを取捨選択するか、ニュースバリューをどうつけるかは、「組織的に」決められる。
「組織的に」決められるのだが、どう順序づけるかについての内規があったり基準集があったりするわけではない。編集者たちの「感覚」で決まる。議論が割れたときは編集局長が決する。
ニュースバリューは編集者たちの「感覚」で決まるということは、記者が何がニュースか判断して記事にしたり、ニュースを発掘すべく取材したりする時もまた、ニュースバリューの基準集があるわけでなくて記者の「感覚」が頼りというわけだ。
(中略)
「何がニュースか」を決める編集者や記者の感度、これを「ニュース感覚」と呼ぶ。この「ニュース感覚」が、編集者、一般的にはデスクだが、デスクやキャップから記者へ、先輩記者から後輩記者へ、しかも個別のケースを通じて伝えられる構造がある。この構造が、新聞社に、記者教育は「現場」を背景とした仕事を通してしかできないと考えさせがちで、大学をはじめ教育(ママ)での記者教育には現状では首を傾げてしまう理由と言えよう。
(猪股征一『増補 実践的 新聞ジャーナリズム入門』信濃毎日新聞社、二〇一六年)