
十三歳の彼女は宝石を縫い込んだ衣装に身を包み、天蓋に黄金の鳥の飾りがついた輿に乗せられ嫁ぐため、北京の「故宮」紫禁城へ向かう。
路には黄色い砂が撒かれ、掲げられた幾つものランタンがまばゆく光り輝き、楽師たちの音楽が響き渡る。壮麗で長い長い行列が進んでゆく。
紫禁城に待つのは、十六歳の夫となる宣統帝、溥儀。
それから前夜入輿した即妃(第二夫人)である文繡と、千人を超える宦官――宮廷の女性に仕えるため去勢した男たち――であった。
皇后になる彼女は婉容。
またの名をエリザベス。
天津のフランス租界に育った彼女は、中国よりも西洋の文化に馴染んで育った少女であった。
纏足をしていない大きな足。
流暢な英語を喋り、ピアノとテニスを楽しむ。
紫禁城のなかで、自転車に乗る写真や、カメラを手にした宦官と笑う可憐な写真が幾つも残っている。
その夫、溥儀は三歳のとき皇帝の位についた清朝最後の皇帝。そう、あの、ベルナルド・ベルトルッチ監督が映画『ラストエンペラー』(ところで溥儀役のジョン・ローンがかっこいいよね)で描いた人物である。
南京に孫文による中華民国ができ皇帝を退位させられたが、紫禁城に軟禁されたまま、溥儀はその巨大な城の中に暮らし育った。ただ、その中でも英語と外国文化を学び、いつかイギリスで自由な暮らしをしたいと夢見ていた。嫁いだ彼女もまたいつかは海外へ渡ることを夢見ていた。
ふたりは互いに、ヘンリー、エリザベスと、呼び合った。
しかし、ふたりの人生は国と権力を巡る謀略にふりまわされてゆくことになる。
やがて北京で起きたクーデターにより紫禁城を追い出されたふたりは、日本の庇護のもとに置かれるようになる。その頃、即妃の文繡は逃亡して離婚。
日本の関東軍を信用せずひたすら海外への逃亡を望む彼女と、日本の手を借りてでも三度目の皇帝の座につくことに固執する溥儀。ふたりの関係もまた険悪になってゆく。
満州支配を狙う日本は、満州国建設のために溥儀を担ぎ出し、皇帝の座に就かせる。
彼女は逃亡を企て離婚を臨むが、結局、騙され皇后の座に連れ戻される。
とはいえ、関東軍もまた彼女を疎み、彼女を即位式にさえ参列させはしなかった。
彼女は娘を出産したが、それも不義の子だとされ、すぐに殺された。
もはやどこへも逃げられない彼女は、アヘンの中へ逃げ込んでゆく。
かつて彼女が作詞作曲したという歌をカバーしたというものをオンラインで見つけて聞いた。
青天 路迢迢 喜馬拉山 比不高
世界繁華 都在目 立身雲端 何逍遙
(青空の下、終わりのない旅が続く、わたしがいるところからは、ヒマラヤでさえ低くみえるほど
わたしはこのにぎやかな世界がみんな見える
けれど雲の上に立ち、いったいどうしたらなににも縛られず、真の自由になれるのだろう?)
日本は敗戦。満州国は崩壊。
溥儀は彼女を置いたまま日本へ亡命しようとする(結局、その途中でソ連に拘留された)。
彼女が死んだのは、それから一年も経たないうちのことだった。
アヘン中毒の禁断症状と栄養失調で錯乱したままひとり死んでいったという。享年四十歳。
これがプリンセスというものの末路かと思うとやりきれない。
*参考文献
『我が名はエリザベス――満州国皇帝の妻の生涯』入江曜子、ちくま文庫
歌詞は英語のものを筆者が訳した。