ちくま新書

ミャンマークーデターから5カ月(下)――翻弄されるロヒンギャ

『ミャンマー政変』著者、北川成史によるレポート

7月8日、『ミャンマー政変――クーデターの深層を探る』(ちくま新書)が刊行されました。東京新聞・中日新聞バンコク支局特派員としてミャンマーでの取材を重ねた北川成史記者が、今年2月1日に発生したミャンマー国軍によるクーデターの影響を辿り、その複雑な背景について掘り下げています。
世界に衝撃を与えたそのクーデターから5カ月余り経ちますが、事態の収拾する見通しはまったく立っていません。国軍と民主化を希求する市民との溝は深まるばかりであり、本格的な内戦化の恐れすら指摘されています。『ミャンマー政変』脱稿後の情勢を追加取材していただきました。

翻弄される難民
 NUGはネット上の情報発信も駆使して国民の支持を集めているものの、国軍の実効支配を崩せていない。
 スーチー氏は10件に上る事件で起訴され、解放の見込みが立たず、クーデターへの抗議デモは、弾圧で小規模化している。
 NUGが国軍に対峙するため、少数民族武装勢力と連携して創設を目指すとした「連邦軍」も、具体像はまだ見えない。
 声明に対する他民族の受け止め方も複雑だ。
 ロヒンギャが多く住むラカイン州で、総人口の大半は仏教徒を中心とする少数民族ラカイン人が占めている。ラカイン人は15世紀以降、ラカイン州の地域に「アラカン王国」を築いた。18世紀にビルマ人の王朝に滅ぼされたが、今も民族意識は強い。ロヒンギャとの確執は根深く、死者が出る衝突を度々起こしてきた。
 ラカイン人の武装勢力「アラカン解放党(ALP)」の報道担当者はNUGの声明について、現地メディアに「利害関係者に相談せずに決めるべきではない」と不快感を表した。
 ラカイン人の血を引く50代の在日ミャンマー人男性は、日本でクーデターへの抗議デモに頻繁に参加してきた。「声明は欧米やイスラム諸国の支援を得るための戦略だろう。国軍に対抗するため、私たちはNUGについていくしかない。NUGが『ロヒンギャ』と呼ぶなら、その呼び方を認める」と一定の理解を示す。
 ただ、ロヒンギャをラカイン人と同様の先住民族とみなすべきかという問いに対しては「複雑な歴史があり、難しい。まだ、幅広い国民の同意は得られていない」と歯切れが悪かった。

 バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプでは、17年8月以降に逃れた70万人以上を含め、80万人を超えるロヒンギャが暮らす。

 

ロヒンギャが暮らす難民キャンプ(18年11月)
雨期でキャンプに溜まった泥水を掻き出す難民(21年6月)

 

 バングラデシュ政府は過密状態を解消する名目で、本土から沖合60キロにあるベンガル湾の島に、10万人を移す計画を立てている。昨年以降、一部の難民が移住したが、高潮の危険がある上、避難生活の長期化につながる恐れが指摘されている。
「私たちは故郷に帰りたい。なぜ孤島に移す必要があるのか」。コックスバザールの難民キャンプで、青年組織の会長を務める男性(25)は憤りと落胆を交える。「国軍が実権を握り、帰還は非常に厳しくなった」
 クーデターを主導したミンアウンフライン総司令官は5月下旬、香港メディアのインタビューで、「ロヒンギャ」という呼び名は1948年のミャンマー独立後に使われ始めたとして、「我々は決して認めない」と強調。国軍がクーデター後に設置した最高意思決定機関「国家統治評議会」の報道官も6月中旬の記者会見で「ロヒンギャという民族はいない」と主張している。
 2人の発言は、ロヒンギャを国民として受け入れる意欲がない国軍の姿を浮き彫りにしている。
 NUGの声明は、膠着したロヒンギャ問題に一石を投じた。打算的な面がちらつくとは言え、民族融和に向けた糸口になる可能性はある。
 ただ、現状では人権意識の欠如した国軍が立ちはだかっている。難民が帰還し、市民権の議論が深まる展望は開けていない。ロヒンギャたちは国軍とNUGの主張の狭間で、翻弄されている。