
第一次大戦中、ドイツ軍が世界ではじめての毒ガスを開発し、使用した。
黄緑色の気体に強い匂い。毒ガスは風にのり広がった。兵士たちは、咳や嘔吐、失明、呼吸不全などに陥りながら死んでいった。
クララ・イマーヴァールは、その毒ガスの発明者フリッツ・ハーバーの妻だった。
彼女自身も化学者だった。
ブレスラウ大学でドイツ女性として初の博士号を取った人物でもある。
結婚したばかりの頃、フリッツはふたりを「童話の王子と王女のよう」と形容した。
しかしそれから15年もしないうち、彼女はベルリン郊外、ダーレムの邸宅の庭でピストル自殺した。享年44歳。
彼女は毒ガスの使用に反対していたからだとも、夫の浮気を知ったからだとも、そもそも精神が不安定だったからとも言われているが、本当のところは誰にもわからない。
ただ、夫であるフリッツはその葬儀を他人に任せて、ロシア軍の待つ東部ガリシア戦線へと赴いた。そして、大量の毒ガスを撒いたのだった。
有能な科学者である男女が結婚をして子どもを持ったとき、女だけが割を喰うことになる、というのはミレヴァ・マリッチ(彼女たちの戦争11(「ちくま」2020年11月号)参照)の例にもれずのことである(実際、平和主義のアルベルト・アインシュタインと毒ガス開発者であるフリッツ・ハーバーは、共にベルリン、カイザーウィルヘルム研究所で研究していたこともあり、思想面では相対していたものの、家庭の不和で意気投合!)。
クララは料理も完璧にこなし、大学講座で行った「家事における理化学」という講義は人気を博し、夫の著作の執筆も助けたが、長男ヘルマンの出産後は次第に、化学者としての道が失われてゆくのだった。忙しく働き化学者としての地位を駆け上がる夫の傍らで、彼女は「フリッツがこの8年間で得たもの、それ以上に私が失ったもの、そして私に残されたもの」を想い深く失望する。
そこへ来てはじまった第一次世界大戦。
愛国心に満ちた夫は、「毒ガスこそが戦争を早く終わらせ、大勢の命を救うものだ」と信じて疑わない。
毒ガスの恐ろしさや悲惨さを目の当たりにし、彼女は化学者としてその使用にも異議を唱える。
しかし夫はそんな意見に耳を貸さないし、そもそも別の女と不倫の真っ最中なのであった。
実際に戦場で、毒ガスが撒かれる。
敵国が報復のために毒ガスを撒くのにそれほど時間はかからなかった。そうして、第一次世界大戦で大勢が死んでいった。
第一次世界大戦後、フリッツは危うく戦犯になりかけたが、一転ノーベル賞を受賞。
その後も彼は国のために尽力し続けたが、ユダヤ人だったため(ちなみにクララもユダヤ人だった)、ナチが政権を握った後は国外追放されることになる。
ちなみに、彼の毒ガス研究を基に開発されたチクロンBは、やがて彼の同胞であるユダヤ人らの絶滅収容所の毒ガスとして使われることになる。幸か不幸か、彼はそれを知るより先に心臓発作を起こして死んだのだったが。
愛国とは何か。
大義とは何か。
彼女の戦いが、私には、小さなひとりの人間としての尊厳を取り戻すための戦いであったように思えてならない。
*詳しくは『光の子ども』3巻(リトルモア)を参照のこと。