
紡績工場における女たちの過酷な労働を記録したルポタージュ『女工哀史』。1925年、改造社より刊行されたその本はベストセラーになった。
女たちはわずかな給金で働かされ、長時間騒音の中、朝も夜も立ちっぱなしで働かされる。あたりには綿の繊維が舞いあがり、高温と多湿の中、女たちはひたすら切れる糸を繋ぎ続ける。
「およそ衣服を纏っているものなれば何びともこれを一読する義務がある」
それは私たちが着ている服がどれほど安い賃金と過酷な労働でうみだされているものであるかを、仔細に告発する書であった。
著者は細井和喜蔵。
しかし、女である女工の実態や宿舎の様子などを彼に伝え、彼がその書を完成させるために自ら働きに出て、一緒に暮らす彼をひたすら養い支えたのは、パートナーの高井としをであった。
だが、彼女は彼と結婚してはいなかった。
子を身籠っていたが、妻ではなかった。
彼は『女工哀史』を刊行して間もなく、病死。その死後、早産で生まれた子どもも一週間で死亡した。
彼女は、彼の死後ようやく改造社からわずかばかりの印税(二千円)を手渡された(貧しさの中で死んでいった彼と子どもも、その印税がもっと早くに支払われていれば助かったかもしれないと彼女は不服だった)。
だがそれ以降、彼女がベストセラーで莫大な利益を生み出したはずのかの本の印税を受け取ることは一度もなかった。
作家の藤森成吉氏が「内縁関係」でしかない彼女のかわりに印税を「管理」し、その金で「労働者開放運動」の宣伝パンフレット作成と「無名戦士の墓」を青山霊園に建立したというが、その後の金の行方は不明と東京新聞の記事にあった。
彼女はその後、活動家の高井信太郎と結婚。七人の子どもを生んだが、二人は死亡、夫も戦争で死んだ。
戦後、子どもたちを育てながら働き、貧しいながらも生き延びてきた彼女。
彼女は79歳でようやく『わたしの「女工哀史」』を刊行(文芸評論家の斎藤美奈子氏による文章を発端にその本はその後、『女工哀史』とおなじ岩波文庫に収録されることになったという)。
女工というのはただただ哀しいだけの存在なのか。
労働者運動という人間の平等を求める活動の中でさえ、女は脇に追いやられなければならないのか。
高らかに正義と解放を歌い上げる人々の陰で、女だけがひっそりと辛苦を舐め続けなければならないということが、私は悔しい。
『ある女の歴史 高井としを』として彼女の人生の聞き書きや、彼女が書いた詩を収録したガリ版刷りの本が残されている。
そこには独学で文字を読んだり書いたりできるようになった彼女がつくり続けた詩がある。
私は幼女の時から、萩の花が好きだった
すみれの花も好きだった
小さい菊も好きだった
ダリアは美しいとは思ったが
貧しい私には あまりにも圧倒的だった
それよりも
野菊の紫 野ばらの白
みつばちや チョウがうらやましかった
参考・引用文献
高井としを『わたしの「女工哀史」』岩波文庫
細井和喜蔵『女工哀史』岩波文庫
高井としを・著 杉尾敏明・編『ある女の歴史 高井としを』8冊組 現代女性史研究会出版部
「東京新聞」二〇一五年六月十四日付「こちら特報部」
*東東京の歴史を数年来リサーチし続けていた寺尾紗穂さんに「女工」たちが実際に歌っていたという歌をモチーフにした朗読劇を作りたいとお声がけをいただき、私ははじめて、高井としを『わたしの「女工哀史」』と細井和喜蔵『女工哀史』の本に出会うことができました。
「女の子たち 紡ぐと織る Girls Spinning and Weaving」
企画・選歌・音楽監修:寺尾紗穂、演奏・朗読:青葉市子、寺尾紗穂
映像作品の公開情報は、Tokyo Tokyo FESTIVALスペシャル13「隅田川怒涛」の公式ウェブサイトにて発表します。
http://dotou.tokyo
戯曲は「ランバーロール04」(タバブックス)掲載予定です。