カタログ拝見
わが国初のシステムキッチンは、1973年(昭和48年)クリナップから発売された。
シンク、コンロ、収納などがワークトップで一体化されたキッチンである。それから約半世紀、いまやシステムキッチンは日本の住宅にしっかりと根を下ろし、まったく動じる気配すらない。それくらいキッチンのふつうに君臨している。
最近のシステムキッチンのカタログはよくできている。
頭から順番にページをめくると、それまでまるで見当もついていなかったわが家のキッチンが、見る見るうちにくっきりと像を結んでいく。
「キッチンは見せたいですか、隠したいですか?」「レイアウトはどのパターンがいいですか?」「幅は? 高さは? 奥行きは?」……「はい、あなたにぴったりのキッチンはこれになります」。
差し出されたキッチンには、シリーズごとに名前がついている。
クリナップならSTEDIA、CENTRO、リクシルならシエラS、アレスタ、タカラスタンダードならレミュー、トレーシア。名前の意味は分からない。分かるのは、それらが価格帯にもとづくランク分けを意味しているということだ。同じシリーズ内であればパーツやカラーの変更が可能になる。ワークトップ、シンク、パネル、扉など、メーカーによってはページをめくってもめくっても、色ちがいや形ちがいのパーツを紹介するページが延々と続く。
しかし、あるところでページをめくる手が急に止まる。
あれ? 水栓金具はこの2種類しかないのかな?
え? レンジフードはこれだけなの?
は? ガスコンロは実質これ一択?
選択肢が極端に少ないパーツがあると気づく。
いやいやそんなはずはないと、今度は好みのパーツからひとつずつ目星をつけてみる。だが、結果は同じだ。選んだパーツに変更できる権利は、「あなたにぴったりのキッチンはこれ」と推薦されたシリーズから上のランクの価格帯に移動しなければ行使できないと分かる。
希望のパーツに丸をつけると予算を遥かに超える高級なシステムキッチンが提示される。逆に予算内にすべてを収めようとすると、気に入らないパーツがまぎれこむ。システムキッチンに仕組まれた巧妙なシリーズ分けと選択可能なパーツの絶妙な振り分け。メーカーの手のひらでしっかり転がされていると気づいたとき、さっきまでのワクワクはすべて理不尽な思いで上塗りされる。そう、システムキッチン選びは案外楽しくないのである。
「システム」のゆがみ
一般に大手のメーカーというのは、客の細かなニーズをあっさりと切り捨てる覚悟がある。ハウスメーカーも住宅設備メーカーもその点は同じである。自分のほうを振り向いてくれるまでは甘い言葉をささやきつづけるが、細部の詰めに入るととたんによそよそしくなる。あれはできません、これもできません。悪気がないのは分かっているが、システムキッチンが居並ぶショールームのお姉さん方から丁重に断られるたびに釈然としない思いが積み重なる(あの人たちもストレスがたまるだろうと思う)。いっそ、融通が利かないのが大手メーカーの証なのだと言い切りたいくらいだ。
融通が利かない理由は言うまでもない。お客さまの注文をいちいち聞いていたら切りがないからである。細かな注文をいちいち聞かないからこそ、在庫はほどよく管理され社員の口座には毎月お給料が振り込まれる。そして住宅業界は回る。
ただ、システムキッチンの名誉のためにこれだけは言っておきたい。
本来、システムキッチンとは融通が利かないキッチンを言うのではない。むしろ、融通が利いてしまうからこそシステムキッチンなのだ。システムキッチンの「システム」とは何か? 前項に引きつづき、宮脇檀先生の言葉をここに引きたい。
システムキッチンのシステムとは、それぞれの家の調理に合わせて、流しからレンジ、戸棚、調理台から内部の棚板に至るまで、それぞれ別々のメーカーのものを組み合わせることができるシステムなのである。多種類少量生産のヨーロッパが考え出した各社共存と、そしてユーザー側発想とのうまくバランスした方法であった。
(『それでも建てたい家』新潮社)
「別々のメーカーのものを組み合わせることができる」――これがシステムたるゆえんなのだと宮脇はいう。もし本当にそうならば、私たちの不満はすみからすみまで一掃されるではないか。シリーズのなかにひとつでも気に入らないパーツがあれば、さっさと他社のパーツに取り換えればよいのである。
ところがドッコイ、日本のシステムキッチンは全くこの部分のシステムが欠落しているのだ。[中略]日本のシステムキッチンは、流しを買った主婦がそれにあった吊り戸棚を買おうとすると「ハイ、それにはわが社の吊り戸棚がピタリと合います」と同じ社のものを売りつけられ、レンジを組み込もうと思うと、これもその会社の製品しか合わないことが分かり、仕方なくそれを買わされるというものであることが分かる。つまり、日本のシステムキッチンのシステムとは、我が社の商品をできるだけたくさん買わせようというシステムなのだ。(同前)
というわけである。ショールームに一歩でも足を踏み入れれば、メーカーが張りめぐらせた糸にからめとられ一切身動きが取れなくなる。この引力圏から抜け出すのはほとんど不可能に近い。
海が割れるとき
建築家・鈴木信弘さんとの付き合いはかれこれ15年以上になる。
私が編集の仕事に就いてほぼ最初の企画でご一緒したのが鈴木さんだった。その大柄な体躯からは想像しがたいが、鈴木さんはキッチンや収納など女性のこだわりが集中する箇所の設計に非常に詳しい。奥さま方の好みや流行もよくご存じだ。言ってみれば、生活者の視点をもった暮らしの建築家である。
そんな鈴木さんのもとには、元来こだわりの強い人たちが家づくりを依頼してくる。設計事務所なので、ハウスメーカーのようにあらかじめ商品ラインナップがあるわけではない。建物のかたちも使用する材料や設備機器も、予算の範囲内でありとあらゆるものが自分の好きなように決められる。それが楽しくもあり苦しくもある設計事務所との家づくりである。
ところがそのような人たちでも、なぜかキッチンになると制約の多いシステムキッチンしか念頭にない。彼らは早い段階からショールームをこまめに回り、自分だけの一台を見つけようと心血を注ぐ。鈴木さんも、「最新の流行を知るのにちょうどよいから」とショールームめぐりに出発する彼らを笑顔で送り出す。
しかし、これがうまくいかない。もとよりオリジナル志向の強い人たちである。理想と予算との折り合いがつかないまま、しだいに不満を募らせていく。そして、鈴木さんのもとへ舞い戻りこのように報告する。
「何か所か見て回ったのですが、結局どれもピンときませんでした」
「それは残念でした」
「わりといい線いっているものはいくつかあったのですが……」
そういって肩を落とす施主に、鈴木さんは思いもよらぬ言葉を投げかける。
「じゃあ、一からつくりますか?」
「何をですか?」
「キッチンを、です」
「えっ、キッチンって一からつくれるんですか?」
施主はここで、目の前の海がゴーッと割れていくような衝撃を受ける。
「キッチンも家と同じように、自由につくることができるんですよ」
「そ、そうなんですか……。でも、お高いんでしょう?」
「仕様にもよりますが、うまく工夫すればシステムキッチン一式を購入するのとほぼ同じ費用で出来ると思います」
このように、住宅設備メーカーが提供する既製品から離れ、建築家などと相談しながら一からつくり上げるキッチンを「造作(ぞうさく)キッチン」という。これまで鈴木さんが手がけた造作キッチンは建築家生活30年で約120台。10人のうち8人は造作キッチンを選んだ計算になる。その多くは建築現場の大工に製作を依頼したものだ。
造作キッチンはキッチンを専門とする家具職人ではなく、家づくりと同じ大工に製作を依頼するとコストが大幅に抑えられる。その仕組みをうまく利用すれば、オーダーメードとはいえさほど高い買い物にはならない。
製作は個々のパーツ選びから始まる。ワークトップのメーカー、シンクのメーカー、水栓金具のメーカー……各メーカーがラインナップする部品から施主が好みのパーツをピックアップする。キッチンの大枠となる箱(キャビネット)は大工が現場でこしらえる。スライドレールなど収納に必要な金物なども大工が現場で取りつける。そうして出来上がった枠組みに、選んだパーツを次々とはめ込んでもらう。最後だけ専門の家具職人にお願いして、引き出しの表面にきれいな面材を張りつけてもらう。こうして、世界に一台だけの完全オリジナルなキッチンが完成する。
マイナスのキッチン
造作キッチンもシステムキッチンも、既製のパーツの組み合わせという意味では基本的な構成は同じだ。違うのは、メーカーを横断して好みのパーツが選べるという点、キッチンと建築とのあいだにコンセプトの一体感が生み出されるという点である。
機能性やメンテナンス性を考慮すれば、大工工事によるキッチンよりも既製のシステムキッチンのほうが品質は安定しているかもしれない。事実、そちらのメリットを重視してシステムキッチンを選択する施主もいる。また、結果として造作キッチンを選んだ人も当初から、「絶対に造作キッチンで」と意気込んでいたわけではない。大半は「べつにシステムキッチンでもよかったのだが……」という消極派だ。
では、なぜ品質が安定し保証体制も万全なシステムキッチンに見切りをつけ、未知数の多い造作キッチンに魅かれたのか? それは、システムキッチンのなかに「どうしても譲れない何か」があったからだと鈴木さんは言う。
「お施主さんはそもそもシステムキッチンに100点を求めているわけではありません。80点くらいのものが見つかればいいなと思ってショールームを訪ねます。実際、80点くらいのキッチンは見つかるんです。でも、その80点を細かく見ていくと、どうしても許せないマイナス50点が見つかる。引き出しの取手だけ飛びぬけて趣味が悪いとか、レンジフードだけどうしても自分の好みに合わないとか、たったひとつの強烈なアンチがシステムキッチン全体を嫌いにさせてしまうんです。それで仕方なく造作キッチンに走ったというのがうちのお施主さんの本音です」
そのような経緯も関係しているのだろう、鈴木さんが手がける造作キッチンの多くは一見"地味なキッチン”として仕上がる。どのキッチンも形はシンプルで色使いも落ち着いたものが多い。余計なものは何ひとつ付いていないというのが第一印象だ。
あえて分類すれば、システムキッチンは便利なオプションを次々と追加していく「プラスのキッチン」、造作キッチンはシステムキッチンから余計なもの、趣味の合わないものを取り除いた「マイナスのキッチン」といえる。
現に、鈴木さんの施主の多くはシステムキッチンのカタログを見ながら、「これはいらない」「あれもいらない」とメーカーがよかれと思って用意した機能を次々と取り外しながら理想のキッチンに近づけていくという。

不便を便利に変えるだけでは
住宅の設計には「3つのS」が不可欠になる。
ひとつ、スッキリ(Sukkiri)させること。
ひとつ、スマート(Smart)にできること。
ひとつ、スペシャル(Special)があること。
私が唱えている説ではない。鈴木さんが長年提唱されている家づくりの要諦である。
スッキリとは収納スペースの十分な確保をいう。家の中をいつもすっきりさせておくためには、余計なものを片づける十分な収納スペースが必要になる。
スマートとは高機能な設備機器の導入をいう。ビルトイン食洗機や掃除がラクなレンジフードといった高機能設備は家事労働を大幅に省力化してくれる。
ひとまずこの二つが満たされれば施主の満足度は確実に上がる、と鈴木さんは言い切る。
ただ、スッキリとスマートには弱点がある。どちらの満足度も賞味期限がとても短いのだ。収納でスッキリさせる工夫は、家族構成やライフスタイルが変わると求められる収納のあり方も変わる。スマートな高機能設備は、最新機種が発売されるたびに少しずつ見劣りがしてくる。どちらの満足も、新築時をピークにじわじわと下がりつづける運命にある。
だから住まいにはもうひとつ、毎日の気分を上げてくれるスペシャルがなければならない。これが鈴木さんの提唱する三つめのSである。
たとえば、一枚物の無垢板で大きなダイニングテーブルを特注するというスペシャルがそれだ。あるいは、トイレや廊下など殺風景になりやすい場所にニッチ(壁の一部をくぼませたスペース)を設けて小物を飾れるようにするスペシャルでもいい。住み手が毎日を気分良く過ごせるようにその家だけの特別な何かをつくることが、家づくりの満足度を高いまま維持する原動力になるのだ。
それは施主のためというより、当初は自分のために行なっていたと鈴木さんは述懐する。
「住宅の設計を始めて間もないころですが、お施主さんは収納と設備機器のレベルを上げれば確実に喜んでくれるとすぐに分かりました。反面、同じようなやり方で何件も設計を続けていると、しだいに〈住宅の設計ってその程度のものなの?〉という食い足りなさが残っていったんです。〈不便を便利に変えるだけが家づくりなの?〉と心の中にぽっかり穴があいたような気分になって、住宅設計という仕事に対する不満がどんどん膨らんでいきました。その穴を埋めるために、なかば設計という仕事に倦んでいた自分自身を鼓舞するために始めたのが、その家だけのスペシャルをつくるという作業でした」
不便を便利に変えるだけでは、かならずしも心は満たされないのである。
同じことは造作キッチンに走った奥さまたちにもいえた。彼女たちが完全オリジナルなキッチンに求めたのも、不便を便利に変えるだけでは手にすることのできない、毎日の気分を上げてくれる特別な何かだった。鈴木さんの事務所で人気がある造作キッチンの事例をうかがうと、そんな彼女たちの気分がよく分かる。
「昔から人気があるのは、壁付けキッチンの前にモザイクタイルを張るものです。掃除のしやすさや耐久性を考えればベストな選択とはいえません。一応デメリットは説明するのですが、それでもモザイクタイルを張りたいという人は常に多いですね。あと、最近はキッチン収納の好みも微妙に変わってきました。とくに若い世代のお施主さんは、鍋やフライパンは出しっぱなしでもいい。格好よく出しっぱなしにできるのならそちらのほうがいいといって、出しっぱなしキッチンをつくる人も増えています。造作キッチンに興味を抱きはじめたお施主さんにこの二つの事例を見せると、みなさんいつも興味津々でごらんになります」
キッチンはそこに何を求めるかでベクトルが180度変わる設備機器といえる。
スッキリ・スマートな機能性を求めるならメーカーのシステムキッチン、機能性・耐久性は犠牲にしてでも自分だけのスペシャルを求めるなら造作キッチン。数ある設備機器のなかでもキッチンだけは、さまざまな思いが入り乱れて一筋縄ではいかない。
