
ナイジェリア、チボクの女子学校に通う16歳から18歳の少女たち276人がイスラム教過激派組織ボコ・ハラムによって誘拐された。2014年4月14日から15日にかけて、期末試験の最中のことだった。そのうちの53人が自力で脱出逃亡したが、他はサンビサの森に連れ去られた。
#BringBackOurGirls(私たちの女の子を取り戻そう)のハッシュタグが世界中を駆け巡った。ミシェル・オバマ元大統領夫人や、自らも学校へ通う途中タリバンに襲撃され銃で撃たれたマララ・ユスフザイさんらはじめ、セレブリティたちも、そのハッシュタグを掲げ、誘拐された彼女たちへの連帯と救出を呼びかけた。
はじめナイジェリア政府はその事件を隠蔽しようとしたものの、国外からの圧力でようやく動き出したが、幾人かは死体で見つかり、ようやく彼女たちの21人が解放されたのは約2年半も後のことだった(さらに82人が解放されるのは約3年後)。解放後、彼女たちはチボクの村を離れ、寮で暮らしながら学校へ戻ることになる。
ジェンマ・アトウォル監督(Gemma Atwal)のHBOによるドキュメンタリー『Stolen Daughters:Kidnapped by Boko Haram』(盗まれた娘たち:ボコ・ハラムによる誘拐)、シエラレオネ出身の両親のもと英国で育ち、CNNインターナショナルの特派員としても名を馳せるイーシャ・セサイ(Isha Sesay)によるノンフィクション『Beneath the Tamarind Tree: A Story of Courage, Family, and the Lost Schoolgirls of Boko Haram』(タマリンドの木の下で:勇気、家族、ボコ・ハラムによって連れ去られたスクールガールズたちの物語)で、その詳細をうかがい知ることができる。
だが彼女たちは、ボコ・ハラムによる誘拐の一部でしかない。
あの事件の前にも後にももっと多くの女たちが誘拐されている。改宗させて兵士の妻か奴隷にするために。
稀に逃亡に成功して村へ戻ることができたとしても、歓迎されるどころか、過酷な待遇が待ち受けている。
自爆テロを疑われ(というのも、ボコ・ハラムのメンバーは少女たちをよく自爆テロに使うから)、レイプにより妊娠していればボコ・ハラムの子だと疎まれる。「Fogotten Girls」(忘れられた少女たち)と呼ばれる彼女たちは、ただ息を潜めるようにして生きるしかない。解放されたチボクの彼女たちのように政府の支援を受けて学校へ戻ることもできない。
女が学校へ通うこと。女が学ぶこと。
そうして貧困から、旧習に縛られた人生から抜け出すチャンスを掴もうとすること。
それは今なお命がけのことなのだ。
学校へ通わせることさえなければ娘があんな目に遭わずにすんだのに、と漏らす母親に、けれどそれは違うと言い切るイーシャ・セサイ。その身をもって示す気概から、女たちにとってどれほど学ぶことが大切で、その人生、その子どもの人生さえも変えるものなのだ、という切実さを思い知る。
けれど、女たちが学ぶことを阻むのは、ボコ・ハラムだけではない。
目には見えない貧困、因習、偏見。
この日本においても、経済格差と進学率の相関、東京医科大学の女子一律減点問題や、ジェンダーギャップ指数を前にすると、私にはそれが決して他人事には思えない。
命の重さはだれもが等しい。人はだれしも平等。私はそう教えられてきたはずなのに。
「Beneath the Tamarind Tree」の中で12歳の少女が呟く。
「もしも誘拐されたチボクの子たちのなかにアメリカ人がいたら、もうとっくにみんな戻ってきているだろうに。」
彼女は結局のところ、この自分の命が、別の性別や別の国籍を持つ、あるいはもっと金や力があるものよりも、軽いし価値がないという結論に達したのだ。
その言葉は重い。
チボクの彼女たちのうち未だ112人は行方不明のままだという。