もしも家を建てるなら

第五回 その動線に用がある

「家事がスムーズになる間取り♪」に潜む盲点【アウトラインをつかむ③】

人気の間取りにとらわれたことが原因の失敗に迫り、従来の間取りのメリットを見直すこともあるこの連載(いつからそうなった?)。5回目は「動線」です。家事は毎日のことだから、スムーズな家事動線はとても重要です。でもそこにこだわり過ぎるとどうなるでしょう。行き過ぎた効率化を憂慮するベテラン設計家のことばに、目からうろこがポロポロとはがれ落ちること間違いありません。

効率化で失われるもの
 効率的な動線と過不足のない収納とのバランス。
 ベテランの建築家にうかがうと、若いころに一度や二度はみなこれで失敗している。利便性を追い求めたがゆえのつまずきであるが、高野さんが憂慮する「効率化による弊害」はこれとはまた少し毛色がちがう。

「お施主さんと打ち合わせをしていると、この間取りは動線が長い・短い、部屋までの距離が遠い・近いという話によくなります。ところが、距離というのはあくまで相対的なものです。大きな家だと短い動線も小さな家だと長い動線になります。そう考えると、東京あたりに建てる戸建住宅で動線を短く効率化していくというのは、場合によってはちょっと神経質過ぎやしないかと思うこともあるんです」

 効率化のための効率化。仕事のための仕事。何事も近視眼的になりすぎると、本来の目的があっさりと見失われる。

「たとえば、キッチンで冷蔵庫からレタスを取り出すとします。そのとき、シンクの前に立っている人が冷蔵庫の扉に手をかけるまで1歩で行けるか3歩で行けるか、これが争点になるときがあります。数字だけを見れば1歩で行けるほうがいいに決まっていますが、この場合の正解は『1歩と3歩ならどっちだって構わない』でしょう。ところが、移動距離が長いのは不便という先入観に捉われている人は、3歩かかる間取りを許容できません」

 にわかには信じがたいが、現実にそのような施主が増えているという。


 だからこそ、家づくりには常に立ち戻れる確かな場所がなくてはならない。すなわち、「自分たちはどのような暮らしがしたいのか」――ライフスタイルの原点である。

 住まいの良し悪し、間取りの良し悪しは家事動線の効率化のみで決まるわけではもちろんない。動線にかぎらず間取りの利便性は、そこだけを先鋭化させていくともう一方にある大切な要素がさらさらとこぼれ落ちていく。その落ちていくものたちを高野さんは「豊かさ」と呼んだ。自著で示した「豊かな住まいの5原則」とは、見方を変えれば利便性や機能性とは別のロジックで組み立てられるプランニング上の戒律ともいえる。

「たとえばそれは、動線を少し変えることで、それまで壁だったところに窓をあけられ、リビングから庭の眺めが良くなることかもしれません。あるいは、冷蔵庫や食器棚へのアクセスなどキッチン内の動線は少し長くなるものの、そのおかげで気持ちのよい日差しが降りそそぐトップライトを設けられることかもしれません。廊下を少し延ばせば、建物と庭がつながる場所をもう少し増やせる場合もあるでしょう」

 少しだけ非効率な動線のほうが、その家全体の豊かさを何倍にも膨らませられる。機能性を高めるネジを少しだけゆるめてやれば、それまで見えなかった景色が見えてくることだってあるのだ。

「でも、家事動線が効率的なAの間取りと、少しだけ遠回りするけれどそのぶん楽しさが増すBの間取り、あなたはどちらがよいですか? なんて聞き方をする建築家はいないですね。このお施主さんは機能的な間取りがお好みなんだなと察したら、効率的な間取りしか提案しないのがふつうですから」

 

1歩と3歩問題。このイラストの場合、利便性第一であれば冷蔵庫や食器棚はアイランドキッチンの背面に配置するのが定石。しかし、それらを右側に移動させたことでキッチン背面の天井にトップライトを設けられている。冷蔵庫や食器棚まではやや遠くなるが、日中は光が降りそそぐ明るいキッチンになる。キッチンが北側ならなおさら有効になる (設計:高野保光)

 

専門家よりインターネット
 それにしてもなぜ、近ごろの家づくりは利便性ばかりを追い求めるようになったのだろうか。高野さんの実感では、「効率的でない間取り=悪」として退けられる傾向が年々強くなっているという。

 原因のひとつは、じつは私にもあったのではないかと反省している。私も含め、家づくりの情報を発信する編集者やライターの多くが、効率的な家事動線のメリットをやや大げさに持ち上げすぎたのがよくなかったのかもしれない。

 書籍や雑誌の編集上、間取りを効率化するアイデアはビジュアルがつくりやすいうえに説明もしやすい。1と3の数字を並べて「どちらが効率的ですか?」という問いかけは誰の目にもあきらかだからだ。それがさも「正解」であるかのような見せ方をしてしまうと、たしかに非効率な動線はすべて悪となる。

 しかも、動線を効率的につくった住宅は、暮らしてみるとなるほど使い勝手がよい。
 良いものはおすすめしたくなるのが人情だ。ひと足お先に家づくりを済ませた子育て世代の先輩たちは自身の成功体験をそのまま後輩に授けていく。

 このバトンパスをより確実にするのがインターネットである。グーグルの検索窓に「家づくり」と入力してスペースを入れてみる。すると、検索予測候補の上位に現れるのは「ブログ」だ。自分と等身大の経験者の言葉は、ときにベテラン建築家のアドバイスより何倍も重いのである。動線の効率化はますます加速していく。

 経験者のブログを熟読するのと同じように、通販サイトのレビューチェックが日常化した私たちはすでに極度に損をおそれる人間になっている。何事にも用心深くなった者にとって、何を得れば満足でき何に手を出すと後悔するか、先達の経験にもとづいて未来が五つの星で照らされている世界はとても居心地が良く、暮らしやすい。その先に待っているのは、せいぜい無害化された横並びでしかないと薄々感づいてはいるものの、いったん吞み込まれたレビューの渦から抜け出すのは容易なことではない。

 ここ数年、インターネットで得られた知識に振り回され、疲弊している施主たちを危惧する声は、高野さん以外の建築家からもたびたび聞くようになった。
「先生のお話はよく分かりました。では、ご提案の件につきましては家に帰って主人といろいろ調べまして、あらためてメールでお返事いたします」

 目の前の建築家の提案に対し、いちいち裏取りをしてからでないと回答したくないと撥ねつける施主が増えている。彼らのなかには、雑誌やネットで収集した写真や知識を自分なりにコラージュし、すでに脳内で理想の家の棟上げまで終えている人もいる。けれど、その間取りや動線をかたちづくるベースは、「nLDK」という何世代も前のOSだというのだから設計側の困惑は計り知れない。それでも、「自分たちはどのような暮らしがしたいのか」というライフスタイルの原点に立ち戻ることは決してなく、なんとなく共感できるプロトタイプを探しまわっては、得体の知れない苛立ちを鎮めている。

「ときどき、誰と打ち合わせをしているのか分からなくなりますよ」
 ある建築家はそう言って深くため息をついた。