
その女の子は世界いち強くて力もち。
金貨がぎっしりつまったかばんを持っていて、いっしょに暮らすのはウマと小さなサルのニルソン氏。
女の子には、おかあさんもおとうさんもいないから、いちばんたのしいときにもうねるじかんですよ、なんていわれない。
女の子はいつも、したいことができる。
カップをぼうしみたいにあたまにのっけたり、まくらに足をのせてねむったり、どろぼうをつかまえて金貨をあげたり。
女の子はいつも、やりたいことを、やりたいようにやる。
女の子の名前は、長くつ下のピッピ。
ひとりの女の子――長くつ下のピッピが、子どもの私を、大人になってからの私を、どれほど励ましてくれたことかわからない。
その物語を書いたアストリッド・リンドグレーン。
彼女の人生は、決してピッピのように自由で強く楽しくばかりではいられなかったのかもしれないけれど。
スウェーデンの小さなヴィンメルビーで四人兄弟の長女として生まれ育った彼女は、16歳のころから「ヴィンメルビー新聞」の編集局で見習いとして働きはじめる。
幾つか記事も書いたし、その文才を認められてはいたが、18歳のとき編集長である49歳の男の子どもを妊娠。
彼女は男との結婚は望んでいなかったため、彼女の妊娠を隠そうとする両親のもとを離れ、ストックホルムで秘書になる勉強をした後、コペンハーゲンで出産、未婚の母になる。
生まれた息子は、コペンハーゲン郊外の養母の元に預けたまま、彼女はストックホルムで事務所秘書として働き金を貯めることになる。ようやく、息子を自分の暮らすアパートに連れ帰ることができたときには、息子はもう3歳になっていた。
その後、彼女は秘書をしていた上司にあたる王立自動車クラブ支配人の男と結婚。ヴィンメルビーの祖父母のもとに預けていた息子を引き取り、男との間にもひとりの娘が生まれた。
そのまだ幼い娘にせがまれて話した物語が、「長くつ下のピッピ」になる。
やがて物語は爆発的な人気を博すことになる。
ただ、それ以前、まだ「長くつ下のピッピ」で名をなすよりも前の彼女が、第二次世界大戦中、中立国だったスウェーデンの地で、恐ろしいほど詳細な戦争日記を書き続けていたこと(それも翻訳され出版されているから読むことができる)ことも、ここにつけくわえたい。
彼女が死ぬのは95歳。
その生涯で書いた本は82冊。その作品は90以上の言語に翻訳され、出版された本の総数は1億3000万冊以上になるという。
けれど彼女はノーベル文学賞を受賞しなかったし、スウェーデン・アカデミーの会員にも選ばれなかった。後にスウェーデン・アカデミーから金メダルを送られたときにさえ、彼女にメダルを手渡したアカデミー会員(詩人のアルツール・ルンドクヴィストです)は椅子から立とうともしなかった(その写真が残っている)。
私には「文豪」というときに彼女が含められていないことが不思議だし不服だけれど、そんなことさえどうでもよく思えるのは、いまなお子どもたちは(少なくとも私の娘は猛烈に)世界いち強い女の子に夢中になって、彼女の物語を愛し、彼女の気概を受け継いでいるから。
参考・引用文献
『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』ヤコブ・フォッシェル・監修、石井登志子・訳、岩波書店
『こんにちは、長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン・作、イングリッド・ニイマン・絵、いしいとしこ・訳、徳間書店