苦手から始める作文教室

第14回 感想文と、明日の自分

感想文を書いてみる②

津村さんは読書感想文(つまり書評)の執筆なども生業とされていますが、実際どんなふうに書いているでしょう。また将来の自分にとって感想文は意味のあるものだと考えています。それはなぜでしょう。

 前回わたしは、何にでもいいから感想を持つこと、それを書くことについてお話ししました。今回は、学校でよくやる読書感想文の書き方について、自分なりにやっている方法のことを具体的に説明したいと思います。

 自分にとって小説家になるということは、「本の感想を書いてください」という仕事が来るようになるということでもあって、本を読んで感想を書くこと、ある本の内容を覚えていることは、自分の仕事の大事な一部であるように思います。

 本の感想を書こうとする時にいちばん重要なのは、当然ながら「その本に何が書かれているか」を覚えていることです。ですが、本にはたくさん文章があるので、やはり当たり前ながら、中身を全部覚えているということは不可能に近いです。「え、できるよ」という人ももちろんいると思いますが、わたしに関してはとても記憶力が悪いですし、みなさんの中でもわたしほどではなくても本を丸ごと一冊覚えているということは難しく感じる人が大半かと思われます。

 「その本に何が書かれているか」を把握するために、本の感想の仕事が来るようになって最初の数年は、ふせんを本にたくさん貼っていました。本を読んでいて、あっと思ったらその文章の横にすぐに貼るのです。けれども、本の上からふせんがびろびろ出ている状態や、ふせんが文章を隠してしまう状態がだんだんいやになってきて、ふせんを短く切ってページの上の余白に貼って文章を隠さないようにしたり、本の上から少ししかふせんが突き出ないようにしたのですが、結局本にふせんを貼るのはやめてしまいました。ふせんを貼りすぎていて、本当に重要な文がどれだかわからないとか、重要な文章だけ色を変えたって、それでもどのふせんがどの重要な文章かがわからないとかいったことがとてもよく起こったからです。

 今はどうやっているのかというと、やっぱりメモをとっています。それまで、あっと思ってふせんを貼っていたところを、携帯のメモアプリを取り出して、ページ数と簡単な内容を書き留めるようにしたのです。たとえば、

  • 60 ミス・ワンダリーは本当はブリジッド・オショーネシーという。
  • ★69 ブリジッド・オショーネシーは大事なことを何も言わないので「あんた自身何をしてほしいのかわかってないんじゃないのか」と言うサム・スペード。冷たい。
  • 107 フリットクラフトという男の話をするスペード。妻子に十分な資産を残した後失踪して、また別の場所で家庭を作っていた。
  • 108 昼食に出るときに、工事現場の梁が目の前に落ちてきて、それまでの安定した人生が特に理由もなく簡単に壊れるという人生の不条理を知ったフリットクラフトは出奔することにする。
  • ★148 ブリジッド「私はうそつき」 スペード「つまらんことを自慢するな」

 というような感じです。これは実際に、わたしが〈マルタの鷹〉という小説を読んでいてメモしていたことを抜粋して貼り付けています。「★」マークは、読んでいて特に感銘を受けた部分です。その他、「ミス・ワンダリーは本当はブリジッド・オショーネシーという」というように、完全にメモとしての内容も書き留めています。「あっ」と思って覚えておきたいと思ったことなら、何でも書くと良いと思います。

 たまたますぐにメモが見つかったので、小説である〈マルタの鷹〉のことを書いていますが、もちろん小説でない本でも、読んで覚えておきたいことがあったら、どんなことでもメモするのがよいと思います。

 わたしは携帯のメモアプリがいちばん使いやすいので使っていますが、もちろん手書きのメモでもだいじょうぶですし、パソコンのワープロソフトを立ち上げながら本を読んで、あっと思ったことを書き留めていくのでも良いです。

 本の感想の仕事は、こうやってとったメモを元にして書きます。メモを読み返しながら、それを元に、自分が「あっ」と思った部分のあるページに戻って読んで、それについて考えたことを書く、ということを何度か繰り返し、だいたい最後には本全体の感想を書いて読書感想文という一個の作文にします。

 前回は雨の動画をYouTubeに投稿している人たちについての感想を書き、今回は本の感想を書くことについて取り上げましたが、感想を持ったり書き留めたりするのは、本当に何についてでも良いです。ドラマの感想でもいいですし、試合の感想でもいいです。学校やテストで指定されていないのであれば、30字でもいいし数千字でも、自分が書きたい分量で大丈夫です。

 感じたことについて書き留めることは、自分自身がどんな感じ方をするのかについて知ることにつながっていて、それは自分がどんな人間かを知ること、覚えていることでもあります。自分はこんな人間だよね? と思っていても、案外違うことはよくあります。自分の生活からわき上がってくるものはなくても、何かを見たり聴いたりして、何かを感じたり考えたりした時に、それを書き留めることによって、自分という人間がどういう考え方をするのかが見えてくることもあります。それがすごく良いことかどうかは、実はわたし自身言い切れないことがあって、一貫した自分自身の考えなんて持たずに、その場その場で思ったことを適当に言って、昨日の自分とまるで違う人間みたいに生きることだって気楽かもしれないなと思います。

 けれどもたとえば「わたしは野球のファンです」という人がいて、一度や二度ではなく、毎日毎日調子のいいチームへ、勝っているチームへと応援するチームを換える人を、あなたは信頼できるでしょうか? 野球だけならいいけど、日常のあらゆることにおいて、自分の考えていたことを覚えておらず、意見を変える人がいたとしたら?

 何かについて自分が感じたこと、考えたことの記録を付けたら、すぐに人から信頼されるよとは言いません。けれども、一切そうしないよりは、昨日の自分がどんな人間だったかを思い出しやすいように思います。何かをおもしろい、好きだと思って、その理由を明日の自分に説明しているうちに、自分がどういう人間なのかということが作られていくようにわたしは思います。

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