十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第10回 「自分の言葉で話す」って難しい

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第10回。自分で考えているつもりになってませんか?

「自分の言葉で話す」のは、大人も難しい

私たちは大人になる過程で多くの他人と出会い、彼らからたくさんの言葉をもらいます。でも、出会いが多ければ自分の言葉で話せるようになるかと言えば、残念ながらそんなに簡単にはいきません。大人にとっても、自分の言葉で話すのはとても難しいことです。

この前、三者面談をしていたら、ある中学生のお母さんが「そんなことをしたら、お父さんに怒られるよ!」と子どもに言いました。このとき私は思わずおやっと首を傾(かし)げてしまいました。なぜなら、お母さんがあまりにわかりやすいレベルで「自分の言葉」で話すことを放棄していると思ったからです。

だって「お父さんに怒られる」からやってはいけない、ではお母さんがどこにもいないですよね。こんなふうに、はじめから自分が発する言葉が自分のものであることを手放してしまうのは、言葉を真剣に扱っていない証拠です。

言葉は新たな現実を作る

大人の言葉はときに狡猾(こうかつ)です。例えば、親がAかBどっちにする?と子どもに尋ねるときには、子どもが実際にどちらを選ぶかにかかわらず、親は自身が設定した選択の中で判断を迫るという形で、子どもの思考の枠組みをコントロールしているわけです。コントロールというのは、わかりやすく相手を自分の思想に染めるのではなくて、こんなふうに、相手をある枠内でしか思考できないよう追い込むことによって遂行(すいこう)されます。でも、それは表面では子どもの意志を尊重する体をとるから、子どもはもちろん親自身さえ、その権力構造になかなか気づきません。

なぜこんなことが可能になるかといえば、言葉には新たな現実を作る力があるからです。この場合、AかBのどちらかしか選べない世界を親が作り出してしまったのです。でも、もともと子どもにはAとB以外にも無限の選択可能性があったはずです。でも、AかBと言われてしまえば、子どもはその現実になんとか対応しなければならなくなります。こうやってひとつの現実を作ってしまう言葉の力というのは恐ろしいです。言葉というのは、こうして新たな現実を立ち上げることによって、その人の言葉を、その人自身の言葉による選択の可能性を、決定的に奪ってしまうのです。

これらの例が示しているのは、大人は、言葉によって新たな現実が立ち上がる力をまるで道具のように利用することで、自らの虚偽を隠したままにその欲求を叶えようとするということです。ソクラテスによるソフィスト批判(注4)の要もそこにあるわけで、これはいまに始まった話ではありません。そして、こういう大人の言葉の使い方を、あなたも間違いなく学んで引き継いでしまっていることでしょう。

なぜ言葉が伝わらないのか

あなたはよく親や友達などの親しい人たちとの間で「言った、言ってない」の争いになることはありませんか? あれって、言った側は「私はあなたに間違いなく情報を伝えた」と主張しているわけですが、残念ながら言葉は情報だけでできていないんです。

言葉は、「何が語られたか」ではなく、「どのように語られたか」の方が大事です。言葉は関係性の「かたち」そのものの現われであって、言葉のなかでモノが立ち現れ、モノが立ち現れる現場にお互いが立ち会うのでなければ、言葉はその人に刻まれません。

言葉が「伝わらない」というのは、いつでもこういう事態を指していて、あなたが「伝える」ことよりも関係性の「かたち」を味わうことにシフトしない限りは見えてこないこともあるでしょう。

「優しい世界」と「痛みを伴う世界」

現在、社会一般では言葉を慎重に扱えという機運が高まっていますし、「誰も傷つかない世界」をあらかじめ設計する方向に急速にシフトしていると感じます。私自身もそういう「優しい世界」に惹(ひ)かれているところがあって、例えばBTS(防弾少年団)のバラエティ番組なんか見ていると、メンバーどうしがわちゃわちゃと楽しんでいて、ときにはちょっと過激なことを言ったりするのに、それでも決して傷つけ合わないどころか、その場でお互いをケアし合う関係が成立していて、こういう価値観っていまの子供たちにも間違いなく波及しているとひしひしと感じています。そして、そういう優しい世界っていいなぁと思います。

BTSの話になったのでついでに言えば、彼らがなぜいま世界的に人気があるかといえば、当然歌とダンスのよさもありますが、何より彼らが新しい時代の優しさを体現していて、それにみんなが心底感動してるからなんですよね。いまの中学生たちも、すごく面白くて際どいことも平気で言うのですが、(先週は、部活の帰りに自転車で通った、風がとても強い坂道のことを「ズラ飛ばし坂48」と呼んで盛り上がっていました……それを言うなら46だろ……)その一方で、一人ひとりが誰も傷つけない優しい世界の住人感が強くて、人と人の関係が新しいフェーズに入った感じがしています。

ところが、BTSには別の側面もあって、2020年の「ON」という楽曲の中で彼らは「痛みを持ってこい!」(Bring the pain)と繰り返し激しく歌っています。この曲は「狂わないでいるためには狂わなければ」(미치지 않으려면 미쳐야 해) という歌詞にも見られるように、かなり激しい内容を含んでいるのですが、このように「優しい世界」と「痛みを伴う世界」という世界の両面を発信し続けていることが彼らの魅力です。

このような表現は、世界というのは「優しい世界」という片面だけではどうやっても成り立たないことを示唆(しさ)していて、今回の主題である「言葉」にもやはり「誰も傷つかない世界」には収まりきれないリアルな「痛みを伴う世界」があります。

「自分の言葉」で生きるために

まず、言葉を習得することは、その言葉が他人と自分に共通して適用が可能であるという理不尽とも言える要求を呑(の)み込むことであり、つまり言葉を通した認識自体にすでに痛みが伴っています。

さらに、「自分の言葉」というのは、他人との緊張関係の中で、他人を理解すること、そして他人から理解されることがいかに難しいかということを徹底的に味わうことを通じて、つまり、いかに言葉を尽くしてもわかり合えないという絶望的な体験の最中(さなか)に、言葉が傷跡として体に刻み込まれることによって、ようやくそれを扱えるようになるということです。

だから、「痛みを持ってこい!」(Bring the pain)というのは、そういった辛酸(しんさん)を舐(な)め尽くすことが生きることなのだ、その苦痛こそが生きる喜びなのだという鮮烈なメッセージであり、それが「自分の言葉」で生きるための大いなるヒントになります。

現代社会において「言葉は人を傷つけるから、慎重に扱わなければならない」というメッセージは重要でしょう。しかし、その呼びかけが往々(おうおう)にして見ずに済まそうとしているのは、言葉はそれ自体が傷跡であり、私たちは痛みを介さずに自分の言葉を紡(つむ)ぎ出すことなど到底できないという事実です。だから、その意味では「誰も傷つかない世界」を目指すなんて虚偽でしかありません。あなたには、そのことを踏まえた上で、世の中の「正しさ」に向き合い、自分独特の生き方を見つけてほしいと思うのです。

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(注1)スイスの言語学者。「近代言語学の父」といわれています。
(注2)言語心理学者今井むつみさんの著書『ことばと思考』(岩波新書)はこのことに関する科学的論証がなされており、一読をおすすめします。
(注3)千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)からの引用です。
(注4)プラトン『ソクラテスの弁明』(岩波文庫)などを参照のこと。紀元前4世紀に書かれたと考えられています。
 

※本連載に登場するエピソードは、事実関係を大幅に変更しております。

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