彼女たちの戦争

第22回:ロザリンド・フランクリン

PR誌「ちくま」の2020年の表紙を飾り、多くの反響を呼び起こした「彼女たちの戦争」が、場所をwebに移して新たにお目見えします。歴史のなかで、女性であるがゆえに脇に押しやられながら、その才能をたしかに輝かせた女性たちの闘いの軌跡。
フランス、リヨンの触媒会議を訪れて 1949年 28歳

 

 彼女は自分が撮影したX線写真が内緒で盗み見られていたことを知らないまま死んだ。
 彼女はそのX線写真がDNAの二重らせん構造の発見に大きな手がかりを与えたことを知らないまま死んだ。
 彼女はそのX線写真を盗み見た人物たちが後にDNAの二重らせん構造解明によりノーベル賞を受賞することを知らないまま死んだ。
 彼女は卵巣癌で死んだ。享年三十七歳。
 X線写真撮影の際の被曝が原因とも言われるけれど、本当のところはわからない。
 彼女はロザリンド・フランクリン。

 イギリス、ロンドンのユダヤ系の裕福な家に生まれた彼女は、寄宿舎学校時代から優秀だった。まだ女性を受け入れて間もないケンブリッジ大学のニューナム・カレッジでも、つねにトップクラスの成績を取っていた。第二次世界大戦を挟みながらも、彼女は研究者の道を邁進してゆく。
 とにかく真面目ながんばりやで奥手だが、お洒落や登山、料理が得意。仕事も、スポーツも、容姿も、料理も「あらゆる面でできすぎた人」だったという。
 彼女は自由なフランス、パリでの研究を愛したが、故郷であるイギリス、ロンドンへ戻ることにする。そこで保守的で権威主義的な(勿論女としても軽視される)ロンドン大学のキングス・カレッジに職を得た。
 そこでは彼女がそれまで築いてきたキャリアは(すでに石炭の結晶構造で名をあげていた)は完全に無視され、同じくDNA研究を手掛けるモーリス・ウィルキンスとは険悪な仲になる。しかし彼女はひたすらDNAのX線写真解析に打ち込んだ。その弛みない努力の末に撮影された素晴らしく鮮明な写真こそが、れいのX線写真であった。

 ウィルキンスが、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のジェームズ・ワトソン、フランシス・クリックにその写真を見せ、それを見たワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を確信することになる。それらの行為が正確に言えば違法であるかどうかは議論があるが、少なくとも研究者としての倫理にもとることであるには違いない。

 しかしノーベル賞受賞の際でさえ、ウィルキンス以外は彼女の名前さえ口にしなかった(その事実は、オットー・ハーンがやはりノーベル賞受賞の際、核分裂の発見に多大な貢献をした研究パートナーであったリーゼ・マイトナー(「彼女たちの戦争」第7回、「ちくま」2020年7月号を参照)の名前を口にしなかった事実を思い起こさせる!)。
 彼女は一度たりとも謝罪されることも、感謝されることさえなかったのだ。
それどころか、彼女が死んでから十年後、ワトソンは『二重らせん』という本を出版した。
 そこで彼は彼女を「ロージー」と呼び、意地悪くデータを独り占めする醜い女「ダークレディ」として描く。「めがねを外して髪を少し工夫すれば、どんな外見になるだろう」というコメントつきで。

 その本の内容があまりに乱暴だったため、クリックはじめワトソンのまわりの人さえ憤慨したし、彼女の友人で作家のアン・セイヤーは彼女の描き方に抗議したが(後に『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』という本さえ書いて彼女を援護した)、すでに彼女は死んでいたし、皮肉にも『二重らせん』はベストセラーになったのだった。

 彼女は生きていた間、それらを予感していただろうか。
 ひょっとしたら彼女自身はその身に起こっていた不遇や災厄を、予感するどころか自覚さえしていなかったかもしれない。
 彼女のX線写真を盗み見た男たちは、まるで何事もなかったかのように彼女に親切にさえしたし、あたかも友人のごとく振る舞い続けていたのだから。
 それにこの世界は、彼女が死んで十年経ってもなお、底意地の悪い醜い女になら(男が)どんなこと(不正)をしても構わない、ということが面白おかしくもてはやされるような場所だったのだから。
 彼女は知らなかった、知らないまま死んでいったのだということが、私にとっては一番苦しくて胸が詰まる。

参考・引用文献
『ダークレディと呼ばれて――二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』
ブレンダ・マドックス・著 福岡伸一・監訳 鹿田昌美・訳
 

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