もしも家を建てるなら

第九回 見えないものを見ようとして

夏涼しくて冬暖かい理想をかなえる【プランを描く⑤】

今回のテーマはエアコン問題です。快適さとは何でしょうか。たとえばそれは「断熱性能」という数値だけで測れるものでしょうか。データや数字からだけでは導けない「快適さ」を生み出すスペシャリストのパッシブデザインから生まれた「エアコンのいらない家」の秘密に迫ります。

断熱性能はワンオブゼム

 ところが、設計者個人の経験や勘による設計に対し、「それでは困ります」と訴える人たちがいる。家づくりを考え始めたばかりの施主予備軍である。

 彼らは家づくりを始めるにあたりさまざまな情報を収集する。わが家の設計・施工を委ねる住宅会社をあらゆる角度から比較検討する。そんななか、「室内の快適性は設計者の経験と勘で決めています」と言われると、施主予備軍は間違いなく立ち往生する。地震に対する強度を比較するなら「耐震等級」、建築費の目安を知るなら「坪単価」、会社の信頼度をはかるなら「施工実績」「社員数」、そういう分かりやすい指標がなければ、一般の人には会社の良し悪しが判断できないのだ。

 そこで、快適性の指標として白羽の矢が立ったのが「断熱性能」だった。建物全体を断熱材で包み込み室温の変化を小さく抑える性能のことである。これはいま、住まいの快適性だけでなく、住宅会社の設計・施工能力を誇示する指標としても広く用いられる。試しにハウスメーカーや工務店のホームページを覗いてみよう。どの会社のサイトにも自社が販売する住宅の断熱性能が掲載されているはずだ。たとえば、SホームはUA値(外皮平均熱貫流率)が0.5、H建設は0.46、Aホームは0.35、T工務店は0.24、そんな具合である(数値が低いほど性能が高い)。

 だが、ここにはひとつの欺瞞がある。

 目に見えないデザインの観点からいえば、断熱性能とは室内の心地よさを左右する要素のうち、主に「温度」しか担当していない。断熱性能の高低は、あくまで室内の快適性を構成するワンオブゼムに過ぎないのだ。

 むろん、ひと昔前の無断熱住宅に比べれば、壁・屋根・床下に断熱材がしっかり詰め込まれた住宅はすこぶる快適である。しかし話をそこで終えてしまうと、環境設計の知識に乏しい一般の人たちは、断熱性能さえ高ければ快適な住まいが実現すると勘違いしてしまう。

 ふだん、私たちはあまり意識しないが「自分が好きな心地よさ」というものを個々にもっている。分かりやすいのは冬の暖房だ。夏の冷房機器はエアコンがほぼ独占しているが、冬の暖房機器はいまだに選択肢が幅広い。昔ながらのコタツや石油ストーブを愛用する人もいれば、室内が乾燥しにくいガスファンヒーターを好む人もいる。女性は床暖房好きな人が多い。新築を機に薪ストーブやペレットストーブを導入する人もいる。どの暖房機器を採用するかは自分好みの心地よさに強く影響される。

山田氏がエアコン代わりに好んで使用している除湿型放射冷暖房機「PS HR-C」(ピーエスグループ)。ラジエータ内部に循環する水が室内に放射熱と自然対流を発生させ、夏も冬も安定した涼しさ(暖かさ)を生み出す。窓開けによる自然換気との組み合わせによりエアコンとは質の違う快適さがもたらされる

 

 それは家づくりも同じだ。たとえば、私のようにエアコンが嫌いな人間が家を建てるとするなら、なるべくエアコンを使わずに快適に過ごせるような家をつくるといいだろう。窓を開けると風が気持ちよく抜けていくような家である。逆に、エアコンを一日中つけっぱなしでも苦にならないという人は、窓を閉め切ってそういう家にすればいい。自分好みの心地よさは人それぞれ。冬の暖房機器を選ぶように、家全体も好みの心地よさが得られるようにつくればいいのである。

 ところが、断熱性能の高低ばかりに囚われている人は、そんなシンプルなことが頭からすぽっと抜けてしまう。「本当は風通しの良い家がよかったのに、出来てみたら窓を開けても全然風が通らない家になっていました。仕方がないからエアコンを使っています」。社会問題にこそならないが、竣工直後からそういう不満を抱える人は毎年山のように生まれている。

 

住宅業界の野口英世問題

 分子生物学者・福岡伸一の名を世に知らしめたベストセラー『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)。その冒頭に描かれた野口英世の挿話は、彼を立志伝中の人物として知る日本人には残酷なほど物哀しい。狂犬病、黄熱病などの研究で人類の生命と平和に貢献したはずの野口だったが、彼の業績を評価する者はいま分子生物学の世界には誰一人いないと福岡はいう。野口が成し遂げたはずの数々の「発見」は、いまではほぼ誤ったものと処理されているからだ。

 野口は何を誤ったのか。福岡は野口の業績が時の試練に耐えられなかった理由を次のように総括している。

「野口は見えようのないものを見ていたのだ」

 じつは狂犬病や黄熱病の"本当の“病原体であるウイルスは、当時、野口の使用していた顕微鏡では見えないほど微小だった。しかし、野口は顕微鏡が捉えた像に何かしらの「発見」をした。当時の技術では見えないものを無理矢理見ようとした結果、彼は「目に見えるものだけ」を頼りに研究対象のすべてを把握しようとしたのである。

 いま、断熱性能ばかりに囚われている人たちに、私は野口英世の影が重なって見える。分かりやすく数値化された指標だけで世界のすべてを見ようとすれば、おそらく彼らも野口と同じ陥穽にはまり込む。本当にほしいものを手に入れられないまま、手に入れたと錯覚した日々だけが虚しく過ぎていく。

 山田さんも、住まいの快適性における各種数値の取り扱いについて常日頃から警鐘を鳴らしている。とりわけ断熱性能を偏重する家づくりには手厳しい。数値ばかりを追いかける家づくりがいかに「危険」か、山田さんはその危うさを何度も体験してきたという。

「僕は設備設計事務所の一所員だった20代の頃から、建物の快適性を検証する実証実験に山ほど参加してきました。その経験からひとつ言えるのは、目に見えるデータや数字は快適性を考えるうえではさほど当てにならないということです。たとえば温熱環境の世界には、PMV(予想平均温冷感申告)という指標があります。室内の快適性を表す指標ですが、実験の結果、PMVは最適な値を示していても体感上はたいして心地よくない家というのはたくさんあります。同じように、断熱性能が高く一年中Tシャツ一枚で過ごせるけれど、その家で一日過ごしているとなんとなく息がつまるような感覚を覚えることもあります。この家でずっと暮らすのはあまり気が進まないなぁと感じる家です。結局、僕らがデータとして拾える数値はその家の快適性を構成するひとつの断片に過ぎません。そこだけ拾い上げて全体をコントロールしようというのは、常識的に考えれば無理な話なんです。僕が自分の経験や感覚を重視して数字を見すぎないようにしているのは、そういう失敗の積み重ねからきている面も多分にあります」

 現代の建築技術は、目に見えないデザインのすべてを数値化できるまでには、まだ進歩していない。見えないものを見ようとしても、いまはまだすべて見えないのである。ならば、ある領域から先の設計については設計者個人の経験や感覚に委ねてみるというのも、あるいは科学的な態度といえるのかもしれない。

 エアコンのいらない家は快適性を証明する数値をほとんど用意していない。さらに山田さんは、エアコンのいらない家を設計してほしいとやって来た人たちに、あらかじめ次のような確認をとってその姿勢を鮮明にしている。

「設計は私の感覚でやりますけど、それでもいいですか?」

「いいですよ」

 そう答えてくれる人は、いまのところ5人に1人もいないそうである。