もしも家を建てるなら

第十回 引き分けは狙わない

熱量が上がるハーフビルドによる家づくり【スタイルはかわる①】

施主は施工にどのくらい関われるでしょうか。いや実際の建築に、施主はどのくらい手を出せるか。DIYよろしく、施主もいっしょに体を動かすハーフビルドによる家づくりを行っている建築家がいます。もちろん大工でない施主が建築現場で動くのは簡単なことではありません。でも、施主と施工者が現場で一緒に汗を流す楽しさと難しさの先には、素晴らしいシナジー効果が生まれています。

 ハーフビルドとはセルフビルド(セルフ=自分自身で・ビルド=家をつくる)の半分、すなわち自分の家を半分くらいは自分の手でつくってみようという家づくりの総称である。柱と梁などを接合する軸組みの工程、床、壁、天井などのベースをつくる下地組みの工程、そうした作業はプロにおまかせするものの、主に仕上げの工程からは施主自身が大工道具を握る。具体的には、床のフローリング張り・タイル張り、壁のクロス張り・塗装・左官塗りなどが施主の担当となる。もっと手を動かしたいという人は、造付けの収納家具を自分でつくったりもする。あらかじめDIY込みで計画される家づくり、といえばイメージしやすいだろうか。

 かつて私が編集した書籍のなかに、ハーフビルドをテーマにしたものがあった。著者の古川泰司さんは日本でも数少ない「ハーフビルド建築家」の一人である。ハーフビルド建築家とは、通常の設計監理業務に加え、施主が工事に参加する際のコーディネート、職人と施主が入り乱れる現場全体のディレクションなどを積極的に行う、かなり特殊な建築家である。工程全体の仔細な流れや各職人の作業スピード、工事に参加する施主の技術や経験など、すみずみまで熟知していないと務め上げるのが難しい役どころだ。

 ハーフビルドの面白さと難しさは、これまで古川さんから何度もうかがってきた。そのたびに、プロジェクト全体を仕切る建築家が背負う、数々の面倒、厄介、膨大な仕事量に気が遠くなったものである。そんな仕事を古川さんは、もう何年もにこにこしながら続けている。

 

ハーフビルドの怖いところ

 静岡県修善寺の施主は30代前半の若いご夫婦だった。

「柱を建てたり梁を組んだりするところから二人でやりたいんです」

 四つの目をきらきらさせながら古川さんの懐へ飛び込んできたという。とはいえ大工仕事は未経験。熱意だけが先走る二人に、古川さんはいつものように家づくりの現実を話して聞かせた。

 建築の素人を工事に参加させても現場がスムーズに進む秘訣は何ですか?

 古川さんにうかがうと、「家づくりの全体像を細部まで施主に把握させること」と返ってきた。工事全体の流れ、各作業の段取り、連携する職人とのコミュニケーションの取り方など、一つひとつていねいに説明しながら「自分は次に何をすればよいのか」を自分の頭で考えられるようにしてあげる。それが、建築の素人をただのお客さんから脱皮させるトリガーになるという。素人を受け入れる施工側も、そのおかげで彼らをお客さん扱いせずに済むようになる。

 修善寺の二人も家づくりの全体像が見えてくると、当事者としての自覚が芽生えてきた。同時に、自分たちにできそうな工事・できそうにない工事の峻別もできるようになった。そして最終的に、みずから手を動かす作業を3工程に絞り込んだ。外壁塗装、漆喰塗り、フローリング塗装の3つである。

 だが、計画は序盤から崩れる。上棟式が終わり柱と梁の周りをスチールの足場が囲みはじめると、職人たちの機敏な動きに圧倒された二人は、一転、戦意を喪失した。

「やっぱり外壁の塗装はやめておきます」

 高所で作業する自分たちの姿をリアルに想像して、二人とも足の震えが止まらなくなったのである。

 これがハーフビルドの怖いところだ。

 すでに工務店とは工事契約を結び終わっている。契約書に外壁塗装の作業代は記入されていない。このタイミングで二人とも現場から立ち去るとなれば、いくつもの段取りをあらためて組み直す必要が生じる。矢面に立つのはもちろん古川さんだ。やはり建築家にとってハーフビルドは、面倒で厄介で手間のかかる現場なのである。

「ただし」と言って、古川さんは大切なことを付け加えた。「ふつうの現場では起こり得ないトラブルはままありますが、逆にお金で揉めるようなことはほぼありませんし、現場と施主が険悪な雰囲気になることもまずありません。それがハーフビルドの良いところです」

 修善寺の場合も、追加の塗装代30万円が計上されると、施主は難色を示すどころか即座に了承して何度も何度も頭を下げたという。なにしろ自分たちにはできなかった高所作業を、プロの職人が代わりにやってくれるのだ。そこにあるのは、現場に対する感謝と尊敬の念だけだった。

 

建築費を抑えようとしたのに

 あとから追加の費用が発生したのは、岩手県花巻の現場も同じだった。

 こちらの施主は40代の男性である。修善寺の夫婦とは打って変わり、下地組み、電気の配線(電気工事士の資格をもっていた)、床のフローリング張り、壁の漆喰塗りなど、軸組み以外の工事はほぼひとりで行なったという猛者である。昼間は団体職員として働き帰宅は夜7時くらい。急いで晩ごはんを済ませると、自宅マンション近くにある現場で毎晩10時過ぎまで作業を続けたという。

 この現場、ハーフビルドによる家づくりを採用したいちばんの理由は建築費の抑制だった。施主が自分の手を動かせば、プロに依頼する工事項目が削減され建築費が下がる。彼はそれを狙ったのである。ところが終わってみれば、建築費の総額は工務店に丸投げした場合とほぼ同じになった。原因は材料費だった。いざ現場が動きはじめると、当初予定していた材料では物足りなくなった施主が、高価な材料、一点物の材料に次々と変更していき建築費を押し上げたのだ。下がった人件費を上がった材料費が埋め戻して、当初の目論見はあえなく失敗に終わった。

 これもハーフビルドでありがちな失敗だと古川さんは話す。

 通常、建築費とは工事全体のなかでメリハリをつけながら調整されるものだ。質の高い材料を使うところ、そこそこの材料で妥協するところ、在庫が豊富にある材料を安く使うところ……うまく緩急をつけながら予算内に収めていくのも設計の技術といえる。だが、施主が工事に参加する現場ではこの調整があまりきかなくなる。

「こんな機会は二度とないんだ。後悔しないように最高の材料で仕上げよう」

 熱い思いがふつふつとたぎり、予算のリミッターがいとも簡単に外れる。設計者がいくら諌めようとも、勢いよく走りはじめた施主はまず止まらない。でもいいのだ。おかげで納得のいく住まいが出来たのは、施主自身がいちばんよく分かっている。お金をかけたぶん良くなったことを自分の身体で理解している。追加の支払いくらい、いくらでも払ってやろうというものだ。

 

壁を塗り終わったパパのひと言

「どちらのお施主さんにも共通するのは、彼らのなかに施工者目線が芽生えたことです。お施主さんが施工者の立場でものを考えられるようになると、家づくりのトラブルは格段に減ります。そして家づくりは、もう一段楽しさが増します。お施主さん自身が手を動かす最大のメリットは、現場もお施主さんも双方が心穏やかに物事を進められる点にあるのかもしれません」

 ハーフビルドの副次的効果を、古川さんはそのように総括した。

 たしかに世の中には、相手の立場になってみてはじめて分かることがたくさんある。

 親になってみてはじめて、部下をもってみてはじめて、歳をとってみてはじめて……別の立場でものを考えられるようになると、それまで好き勝手なことばかり言っていた自分が急に恥ずかしくなるものだ。家づくりもきっと同じなのだろう。住宅を設計する、施工するという行為が現実にはどれほど大変なことか、一度でも経験した人はささいなことに過剰反応しなくなる。

 実際、施主に施工者目線をもたせ感情的なクレームを抑止している工務店はいくつもある。とくに経年変化が大きい自然素材(無垢フローリング、左官壁など)を多用する工務店は、施主の工事参加を積極的に進めているところが多い。

 やれ、床板と床板のあいだに隙間ができただの、左官の壁にうっすらひび割れが入っただの、自然素材を使用する住宅はクレームのネタに事欠かない。それが自然素材ゆえの特性だと説明しているのに、イマドキの施主は工業製品と同じ感覚で自然素材の自然な変化に目くじらを立てる。そういう人たちにこそ、無垢板や左官の特性を肌で感じてもらい施工側の苦労に思いをめぐらせてもらうのだ。

 ハーフビルドという名称ではあるが、施主が施工者目線を得るのに全工程の半分も工事に参加する必要はない。フローリングをひと部屋ぶん張るだけでもいいし、職人が仕上げた床板にワックスを掛けるだけでもいい。全体のたった数パーセント工事に参加するだけで、彼らは職人たちと同じ目線で家づくりに向き合えるようになる。

床のワックス掛けは施主が参加しやすい工事としてメジャーなもののひとつ。竣工後は施主自身がメンテナンスの一環として行うことになるため、その予行演習としてもちょうどよい。実際にやってみるとけっこうシンドイ

 まだ小さな子供がいる施主一家に、部分的に左官塗りの作業をお願いしてみる。すると、どうにかこうにか塗り終わった父親は子供とこんな会話をかわす。

「え~、パパが塗ったところだけ壁が凸凹しててなんかヘ~ン」

「コラッ、パパが一生懸命塗った壁じゃないか。偉そうに文句を言うんじゃない」

 慣れない肉体労働でパンパンに張った右腕を揉みながら、パパはふだん職人たちが言いたくても言えない言葉を現場の中心で高らかに叫ぶのである。

 

1点を取りにいく覚悟

 たとえばサッカーの場合、両チームが引き分け狙いで守りを固めはじめると、応援する側は途端に熱が冷める。守備固めに走る選手たちも決して面白くはないだろう。生産者と消費者がはっきり区分けされた家づくりは、そんな熱量の低い試合にとてもよく似ている。

 お互いの関心事は、いかに失点を少なくするかだけだ。住宅会社側は「クレームが少しでも減るように」。施主側は「家づくりに少しでも失敗しないように、騙されないように、損をしないように」。最初からディフェンシブな両者が相まみえるのだ。失点ゼロの家づくりは勝ちもしないが負けもしない、最後まで腹を割らずに膠着した状態のまま引き渡しの日を迎える。

 そんなのちっとも面白くない。という人たちはハーフビルドに強くひかれる。彼らは多少の失点は覚悟のうえで1点を取りにいく。点を取る喜びが味わえるのなら、点を取られても構わない。そんな覚悟である。

 ズブの素人が工事に参加すれば、生産性や完成度は間違いなく下がる。商品としては「最低」な家が出来上がるかもしれない。だがそれと引き換えに、ハーフビルドの現場に身を投じると昨今の家づくりとはあきらかに手触りの異なる、ものづくりのプリミティブな高揚感が味わえる。純度の高い満足感にひたれる。文字どおり、わが家を建てたという達成感で満たされる。ハーフビルドにたずさわる建築家、工務店、施主の顔を見ていると、つらくとも充実した数か月の手応えが私にもひしひしと伝わってくる。

 数々の面倒と厄介を抱えながらも、古川さんがハーフビルダーたちと家づくりを楽しむ理由はおそらくそれだ。過度に消費社会化した家づくりから脱却し、精神的にも心地よいオルタナティブな家づくりのシステムが構築できないものか。古川さんと会うたびにあれこれ企てている。