前提、理由の正しさ
さて、「人生はゲームか」。
前の章では、授業で「人生はゲームだと言える?」って聞いてみると、賛成も反対も両方が出てくる、っていうところまで行きました。
具体的な例を見てみましょう。そうですねぇ、一番多いのはやっぱり、「人生はゲームと違ってリセットできない」というヤツです。
だけど、さっきもちょっと書いた通り、「人生はリセットできない」は、実は大いに怪しい。結論を支えるのは前提=理由。だけど、その肝心の前提=理由が怪しければ、結論だって怪しくなってしまいます。
「ゲームはリセットできる」、「ゲームは楽しい」、「ゲームは……」というような、いろんな常識的なイメージはあるけど、それらが正しいかどうか、実は怪しい。だったらどうすればいいか? 簡単な話です。「そもそもゲームとは何か」、そこから、根本から考え直す。「人生とはゲームである/ない」と言ったって、肝心の「ゲームとは?」ってこと(つまり前提)が決まらなければ答えも決まらない。逆にそれが決まれば答えも決まるわけだから、その前提を正確に定めなきゃいけない、ってことです。
「人生はゲームか」という問題に、直接答えを出してはいけないのです。だって、そもそも「ゲームとは何か」がはっきりしていないんだから。だから、我々がまず考えるべきなのは「ゲームとはそもそも何なのか」ってことです。「根本的なところから考え直す」なんて言うと、「うわー、面倒そう!」と思うかもしれませんけど、結局、それが一番確実で近道なのです。