リビングのテーブルは何のために
かねがね不思議に思っていることがある。
リビングのテーブルは何のためにあるのか。
部屋を汚すためにある、というのが私の見立てだ。
ある家庭の、ある日のリビングを想像してみたい。
テーブルの上には何が置かれているか。
かすかに湯気を立ち上らせているコーヒーカップ。次の出番を待っているテレビのリモコン。充電中のスマートフォン。ノートパソコン。箱ティッシュ。今朝の折込チラシ。子供が学校から持って帰ったプリント2、3枚。ボールペン。なぜかハサミ。
はたしてテーブルは、それらを置くために用意されたのだろうか。
否、そこにテーブルがあるから、物が置かれるのだ。リビングにテーブルが置いてあるばっかりに、見境なく、際限なく、いつまでも物が置かれる。それが視覚的なノイズを発して、リビングの景観は瞬く間に損なわれていく。
その昔、ある建築家から片づけに関するこんな持論を聞かされ、深く納得したおぼえがある。彼は、物が散らかりやすい家のしくみを次のように解き明かした。
「いつも物であふれ返っている家があるとしましょう。それは、その家に住んでいる人が片づけ下手だからではないんです。その家を設計した人の見通しが甘かったからそうなったんです。家という場所にはどのような物が持ち込まれ、どのように使用され、どのように置き去りにされるか。それを見通す力が設計した人になかったんですね。家はさまざまな物が置かれる場所、収まるべき場所が事前に用意されていないと必ず散らかります。片づけても片づけてもまたすぐに散らかります。物の置き場所を考えてやること。これもまた住宅を設計するということなんです」
思うに、リビングには物の置き場所が少ない。いや、ほとんどない。
だが、何もない平らな場所だけは広々とある。
平らな場所に物を置かない人はまずいない。そのうち片づけるから。心の内でそうつぶやきながら、リビングのテーブルには一時保留の物たちが次々と置き去りにされる。「そのうち」が決して守られないのは、ゲラの山で埋め尽くされた出版社のデスクを見ればよく分かる。編集者は平らな場所を見つけてはつぎつぎと紙の山を築いていく。デスクの上だけではない。引き出しの上にも、床の上にも。
平らの誘惑に抗うのはとても難しい。
景観破壊の解決法
リビングのテーブルが景観を損なうのは、その配置にも問題がある。
リビングに足を踏み入れた人は、いったいどこを目指しているのか。
十中八九、ソファである。
ソファにやれやれと腰を下ろした住人は、視線を自然とテレビのほうに向ける。見る気はなくてもテレビのほうに顔をやる。その途上にテーブルはある。
たとえテーブルの上が物であふれ返っていても、それが視線の先になければさほど気にはならない。知らぬが仏。見るは目の毒。だが、目の前には動かしがたい現実が広がっている。
この問題、どうにかならないものか。答えはひとつしかない。
リビングをいつも美しく保ちたければ、テーブルをソファの前に置かないことだ。いつも視界に入るソファとテレビの間から、テーブルという余計なノイズを取り除いてやる。そうすれば、リビングはたちどころに美しく見える(!)ようになる。
同じことはテレビ台にもいえる。
テレビ台にテレビだけを載せている家庭は稀だ。リビングのテーブルが物であふれ返り、これ以上は置き場所がありませんという限界までいくと、今度はテレビ台が狙われる。わが家を例にとれば、いまテレビ台の上に侵攻しているのは、子供が皮膚科で処方されたチューブタイプの塗り薬である。赤や黄緑のラインが入った長さ7~8センチ程度のチューブが何本もテレビの周りを彩っている。その隙間を埋めるように、公園で拾った松ぼっくりやガチャガチャの景品が放置されている。
平らな場所に物を置きたくなるのは、大人も子供も同じだ。
リビングをいつも美しく保ちたければ、テレビ台も置かないことだ。テレビ台がなくなれば、塗り薬も松ぼっくりも、いやおうなくどこかへ消える。宙に浮いたテレビは後ろの壁に掛ければいい。ブラウン管時代には不可能だった、新しいリビングのスタンダードである。
何を見て過ごしたいのか
要するに、リビングでは「何を見て過ごしたいのか」。
いまから5年前、そんな切り口のインテリアデザインの書籍を企画したことがあった。著者はインテリアデザイナーの吉田美穂さん。主に高級ホテルのインテリアデザインを手がける吉田さんと、「ふだん目に映る時間が長い場所から優先的に美しくするインテリアデザイン」を考えてみようと、二人であれこれネタ出しをした。
「リビングのテーブルとテレビ台は、いっそ撤去したらどうか」。これは、そのときのネタのひとつだった。
せっかくなので、この続きを紹介したい。
ソファの前からテーブルを撤去したとする。
では、それまでテーブルの上にあった物はどこへ置けばよいか。
正解は「横」である。まっとうに考えれば、ソファの横がベターだ。そこにテーブルより小ぶりのサイドテーブルを置く。面積は半分くらいに減るが、ここならソファに腰を下ろす住人の視界に入らない。逆に、人との距離はテーブルよりも近くなる。すぐ手に取りたいリモコンやマグカップはここに置いておけばいい。
結論。リビングにテーブルを置きたければ、ソファの前ではなく横に、テーブルではなくサイドテーブルを。吉田さんとのネタ出しは、そのような結論を得て終わった。
わが家も昔からこの案を採用している。ただ、置いているのはサイドテーブルではなく木の箱だ。昔のリンゴ箱のような木の箱を妻がどこからか拾ってきたので、試しに置いたらぴったりハマった。高さは40センチ前後でソファの座面にちょうど合う。この上にマグカップ、リモコン、スマホなどを置いている。箱は幅10センチ程度の荒板を釘で留めてあるだけ。板と板の間には2センチほどの隙間がある。この隙間が、下からスマホのケーブルを出すのにちょうどいい。
ソファの前にテーブルのないリビングは足元が本当に広々とする。テーブルをやめると、えっこんなに広かったの? というくらいリビングが広がる。「でも、テーブルがなくなると足元が寂しいんですけど……」という人は、思い切ってオットマン(足置き)に挑戦してみるといい。インテリアのレベルが二階級特進する。

もうひとつ、テーブルはソファの後ろに置くという手もある。
わが家は狭いマンションなので難しいが、間取りによってはソファの後ろが空いている(壁面でない)ケースがある。そういう家は、ソファの後ろにテーブルをもってくることができる。
もっとも、前から後ろへ同じテーブルを移動させるわけではない。高さ700ミリ程度の横長テーブルを別途購入してソファの幅に合わせて配置するのだ。これが意外とイケる。「第六回 6歳からの縄張りづくり」で紹介したスタディコーナーを、ソファの後ろにもってくるイメージだ。
これにより、ソファの後ろには新たな平らが生まれる。
当然、ソファの後ろのテーブルには、待ってましたとばかりに種々雑多な物が置かれていくだろう。でも、それでいい。大切なのは、放置された物たちがいつも目に見える場所にあるかどうかだ。目の前なのか、後ろなのか。片づかない物の総量は変わらなくても、それがどこにあるかで住まいの景色はずいぶん変わる。
