じつのところ、書く仕事のあらかたは考える時間に費やされている。それは少なく見積もっても結構な時間になる。そうなると、日常生活とのバランスが難しくなってくる。考えるだけで、一日を終えることはできない。食事をしたり、食事のための買い物をしたり、歯医者に通ったり、銀行に行ったりもする。本を読んだり、音楽を聴いたり、連続ドラマのつづきを観たりする時間もほしい。なにより、眠る時間を確保しなくてはならない。
ときどき、寝食を忘れて何かに打ち込むのがいいことのように語られたりするが、本当に寝食を忘れるほど夢中になって得られるのは、いっときの喜びであるように思う。あとになって、取り返しのつかない疲弊がのしかかってくる。
となると、寝食を確保した上で、「考える時間」を日々の生活の中に組み込まなくてはならない。
そのための儀式、あるいは装置や方法のようなものとして、「月舟町へおもむいて考える」ようになった。これはようするに、心の置きどころの問題かもしれない。
体は変わらずここにあるけれど、心は月舟町におもむき、生活の中のちょっとした隙間の時間であっても、考えることができるよう、自分に仕向ける。
この儀式が日々の当たり前になってくると、リアルな生活圏とは別に、もうひとつの町が頭の中に生まれる。それで、そこへおもむくイメージも容易に得られるようになる。
イラスト:吉田篤弘
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『物語のあるところ ――月舟町ダイアローグ』