もしも家を建てるなら

第十八回 建築家っぽさに気をつけろ

いいかげんが「好い加減」になる住宅【プランを描く⑦】

暮らしのアベレージを上げる秘訣を住宅のプロたちと探るこの連載。過度な理想が快適さを妨げたり(こんなはずでは!)、ちょっとした工夫で心地よさをアップしたり(えっ、こんなことで!)、ふつうや常識の功罪を見直したり(そうだったのか!)など、意外な視点や鋭い指摘に毎回ハッとして、なるほどなぁ~と唸りました。もちろんこの最終回も、ベテラン建築家に設計に滲む思想、幸せになる家のアイデアをうかがいますよ。

 

片づけやすいはずの家が片づけやすくなかった理由

 かくいう僕も、若い頃はずいぶん失敗をしました。クライアントのために、よかれと思ってやったことが、まったく逆の結果をもたらしたこともしばしばです。吉村事務所から独立して最初に手がけた仕事がまさにそれでした。

 クライアントは5人家族。古くなった戸建ての建て替えでした。ご自宅にうかがうと、家の中はグッチャグチャで物があふれ返っていました。収納が足りないのはあきらかでしたから、奥さんと打ち合わせて、すべての物がきちんとしまえる収納スペースをつくることにしたんです。

 吉村事務所時代に収納の設計はさんざん教わっていました。片づけやすい家の設計はお手のものでしたから、キッチンの収納なら大皿をしまう場所、小皿をしまう場所、家事室の収納ならアイロン台を差し込む場所……その他もろもろ、物をしまう場所をすべて決めたうえで進めた建て替え計画は、奥さんにとても喜ばれました。

 建て替えが無事に終わった1年後、朝早くから同じ町に行く用事があったので、ついでにピンポーンとその家を訪ねてみたんです。すると奥さんが出てきて、「あらっ、増田さん。ダメよぉ、来るときは電話してくれなきゃ」と困った顔をされた。「ま、いいわ。あがってちょうだい」と玄関の扉をあけてもらうと、すでにその場から家の中がグッチャグチャになっている様子が……。

 奥さんにはこう言われたんです。

「収納の設計が細かすぎて、どこに何をしまえばいいか、私以外は家族の誰も分からないのよ」

 だから、娘さん二人は毎晩洗い物を手伝ってくれるけれど、洗い終わった皿は全部テーブルの上に並べてもらい、翌朝、旦那さんと子供たちが出かけたあとで、奥さんがひとりで片づけるというんです。お皿だけでなく、あらゆるものがそんな感じで、毎日午前中いっぱいは片づけの時間に費やされるとのことでした。悪いことしたなと反省しましたね。

 以来、僕は「納戸主義」に変わりました。収納は、大きめの納戸を何カ所かつくっておき、中に入れる棚は住み手に好みのものを買ってきてもらう。結局、それがいちばん使いやすいんです。

 同じように、ウォークインクローゼットをつくるのも早々にやめました。あるお宅でウォークインクローゼットの奥に物が詰まってゴミ溜めのようになっている様子を見て、こりゃダメだなと。以来、ウォークインはやめて、行き止まりをなくしたウォークスルークローゼットを基本にしています。

 

設計はもっと「いいかげん」でいい

 この家に越してきて3年になります。

 見てのとおり、いろんなものが出し放しで、ぜんぜん片づいていない家です。建築費を抑えるために、建材のほとんどはアマゾンでいちばん安いものを買い集めました。外壁はたしか鳥取産のスギだったと思います。玄関の足元灯もアマゾン。ソーラー発電だから電気代がかからないし、地中に差し込むだけでいいので工事代もかかりませんでした。

 そんな「安普請」ですが、友人、知人、教え子たちが毎週のように遊びに来てくれます。そのうちのひとり、友人の建築家が奥さんとお子さんを連れてはじめて遊びに来たとき、こんなことがありました。

 彼はまだ50代前半で、奥さんも大学で建築を教えているという建築家夫婦です。当然、建築の知識豊富な二人ですが、面白いことに、旦那さんと奥さんのリアクションはまるで違いました。

 旦那さんは家じゅうをくまなく見て回るんです。そして、ところどころ足を止めては質問をされる。「壁に張っている材料は何ですか?」「塗装はどのメーカーの何という塗料ですか?」。僕が設計した住宅に興味が尽きないといった様子でした。

 その間、奥さんのほうは何をしていたかというと、まだ小さなお子さんと二人でソファベンチにどかっと腰を下ろしたまま微動だにしませんでした。じーっと天井のほうを見つめて動こうとしない。で、しばらく経ってから、しみじみとこう言うんです。

「あー増田さん。なんだか私、ここに座っているとすごくほっとするわぁ」

「いいわぁ、この家は落ち着くわぁ」

 何度も似たようなことを言われるので、僕はこう言ってなぐさめてあげたんです。

「それはね、毎日ていねいな設計ばかりしているから、頭も心も疲れてるんですよ。ていねいな設計に疲れている人は、うちみたいないいかげんな家を見るとほっとするんです」

「そうかもしれないなぁ」。ひとりごとのように言って笑っていました。

 おそらく、世の中の10人中8人は、そこらじゅうに物が出ている状態では落ち着けない人、きちんと片づけたいと思う人でしょう。でも残りの2人は、逆に物が出ていないと落ち着けない人、多少散らかっているほうが落ち着くという人です。

 僕は後者だから、ベンチに座ってテレビを見ながら後ろの棚に手を伸ばすとせんべいの袋にパッと手が届く、みたいな家が好きなんです。わが家は万事その調子で、台所の調理道具もワークトップの前に全部ぶら下げています。

増田邸の台所。料理好きの増田さんにとっては、必要な調理道具にパッと手が届き手際よく調理できることが何より大切。ぶら下げ式片づけ術のメリットは、増田さんの著書『住まいの解剖図鑑』でも言及されている

 

 ハサミなんて、そこらじゅうに置いてあります。玄関にも台所にも洗面所にも。だって、手紙の封を切ったり、ダンボールを開けたり……必要なときにすぐ手が届かないハサミなんて、何の意味もないじゃないですか。引き出しの中にハサミをきちんとしまう生活なんて、僕からしたらありえない話なんです。

 要するに、心の底からほっとする家というのは、いつもきちんと片づいている家とは限らないということです。僕みたいに物を出し放しにしている家のほうが落ち着くという人は案外いるものなんです。

 それなのに、住宅を設計する側は、きちんとしまえる家、ていねいな暮らしができる家だけを一生懸命つくろうとする。クライアントもそういう家が「いい家」だと信じ込んでいて、本当はそうじゃない家のほうが性に合っているかもしれないのに、ていねいな暮らしをする自分に憧れを抱いている。

 結果、建築家は何枚も何枚も図面を描くはめになり、知らず知らずのうちに身も心も疲れ果てる。住み手もきちんと設計された家で暮らしているはずなのに、なぜだか居心地の悪さを感じてしまう。

 住宅の設計はもっとおおらかで、「いいかげん」なものであっていいのかもしれない。きちんとした設計もクライアントによっては考えものではないか。ここで暮らすようになって、ますますそう感じるようになっています。

 フルオープンにできる掃き出し窓もそうだし、格好いいだけのリビング階段もそうでしょう。建築家はクライアントのためにきちんと設計したつもりなのかもしれませんが、一歩引いてみると、そのほとんどは建築家の自己満足にすぎず、住み手が本当に望んでいることではないのかもしれない。むしろ、「なぜだか分からないけれど落ち着く」という心の動きに、建築家はもっと敏感になるべきなんです。

 だから、若い建築家が設計した住宅を見に行って、いかにも建築家っぽい仕事だけをして悦に入っているなと感じたら、遠慮なくこう言ってやります。

「まるで建築家が設計したみたいな家じゃんか!」

 いやーな顔をされますよ。

 でも、その設計が本当に「住むための設計」になっているかどうかは、常に自問自答していないと自分でも気づかないうちにひとりよがりな設計に陥っているおそれがある。それは設計を依頼する側も同じで、見た目や性能の良し悪しばかりにとらわれていると、住むために、暮らすために必要なこととは何なのか、自分でも分からなくなってしまいます。自分たち家族は住まいに何を望んでいるのか、建築家まかせにしないで一度じっくり考えてみるといいと思います。